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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

事故・犯罪被害者の実名報道被害

憲法から考える実名犯罪報道 (現代人文社) より転載

 

第9章

事故・犯罪被害者の実名報道被害

山口 正紀

報道による人権侵害、とりわけ実名報道によるプライバシー侵害の被害は、被疑者・被告人だけでなく、事故や犯罪被害者にも及び、深刻な打撃を与えている。過去15年間の報道被害事例から特徴的なケースを取り上げ、問題点を考えてみたい。

 

[1] 被害者をさらし者にした報道
(渋谷・女性殺人事件〔1997年〕)
 1997(平9)年に東京・渋谷で発生した女性殺害事件で逮捕・起訴され、無期懲役刑が確定していたゴビング・プラサド・マイナリさん(ネパール国籍)について、東京高裁は2012(平24)年6月、再審開始を決定した。この決定は、足利事件などに続く冤罪事件として大きく報道された。
 事件は1997年3月の発生当時、被害者が東京電力に勤務する管理職であったことから「東電OL殺人事件」としてセンセーショナルに報じられた。新聞・テレビが被害者の名前、勤務先、家族状況を報じ、夕刊紙、スポーツ紙、ワイドショーが被害者の私生活を報道。新聞では、産経新聞が被害者のプライバシーに大きく踏み込み、《昼と夜の顔との大きな「落差」に潜むナゾ〉(3月24日朝刊)との長文の記事を掲載。続いて毎日新聞が《キャリアウーマン/夜の渋谷の「ナゾ」か(同25日)、東京新聞が《派手な交友/ナゾの私生活》(同)として、被害者の私生活に焦点を当てた記事を大きく載せた。
 以後、3紙の報道を追う形で、週刊誌、夕刊紙を中心に、激しいプライバシー暴露報道合戦が展開され、ついには『週刊大衆』が「被害者のヌード写真」を掲載するまでに過熱した。
 週刊誌の報道は、①被害女性を「ふしだら」に描いたうえで、その「落ち<度」を追及し、事件の責任を被害者に負わせていく、②その過程で、被害者<に関する性的情報や無責任なうわさを流し、男性読者の興味を煽っていく一一というもの。『サンデー毎日』4月2日号は《深層追及「なぜ殺されたか」)、同9日号は《‘‘できる女’’ほど堕ちる)の見出しを掲げ、この事件で大騒ぎしたメディアの価値観・女性観を集約的に表現した。
 この大報道に対し、被害者の母親は「なにとぞ亡き娘のプライバシーをそっとしておいて下さい。もうこれ以上の辱めをしないでください」と、メディア各社宛に手紙を出した。「心震えるような報道もございます。私はを閉じ、耳をふさぎ、ただただ消え入りたい」-事件被害者の遺族にこん
な思いをさせる報道とは……。
 一連の報道について弁護士グループが「被害者の実名を報道する必要があるのか」と公開質問書を出した。それに対し、全社が「被害者も実名報道が原則」と回答、「被害者の社会的な立場などを考慮すると、実名による注意喚起が必要なケース」(東京新聞)などと答えた。
 だが、実際に「喚起」したのは、男性読者の性的興味・関心だけだったと思われる。事件の冤罪性に関する報道はほとんどなかった。
[2] 遺族を傷つけた被害者中傷報道
(桶川事件〔1999年〕)
 1999(平11)年10月26日、埼玉県桶川市で白昼、女子大学生が刺殺された。被害者は数か月前からストーカー行為、脅迫行為に悩まされ、埼玉県警上尾署に対処を求めていた。にもかかわらず、警察が告訴調書を改ざんするなど>して被害者の訴えを放置する中で事件が起きた。このため、遺族は後に県警を相手取り、国家賠償請求訴訟を起こした。
 この事件でも発生直後から新聞・テレビが被害者の実名を報道し、複数のメディアが顔写真を掲載した。週刊誌、ワイドショーは、被害者が名門女子大生であったこと、被疑者が風俗産業の関係者であったことなどから、性的な興味本位の報道を展開。噂や憶測を交えた被害者の私生活に関する情報、プライベートな写真がメディアにあふれた。
 2002((平14)年11月、「人権と報道・連絡会」が開いたシンポジウムiで、被害者の父Iさんは、メディアの興味本位な報道について、こう訴えた。
 「風俗で働いていたとか、ブランド好きで男からブランド品をもらっていたとか。娘を中傷する報道が約3か月も続きました。『そんな女の子だから殺されたんだ』というイメージが世間に形作られた。いくらやめてほしいと頼んでも、娘の写真や私の映像が何度も流されました」。その取材合戦は、わが子の突然の死に悲しむ遺族にも容赦なく襲いかかった。
 「警察で事情聴取を受け、自宅に帰ると、60-70人の報道陣が家を取り囲んでいました。翌日以降も、朝から深夜まで家の前にマスコミがいて、夜中にドンドンと戸を叩かれる。娘を殺され、つらくて悲しくて、どうしていいかわからない。それなのに、マスコミは『何か話してくれ』と言う。葬儀の時もカメラを向けられ、『何かしゃべって』と言われました」。
 実名報道は、顔写真掲載につながり、それが「美人女子大生」の私生活を興味本位に暴くプライバシー侵害報道に「発展」していく。その情報を得るための取材が、遺族を苦しめる。「報道の公益性」は建て前で、視聴率・部数という「メディアの私益」が最優先された。
[3] 被害者実名報道による被害
(新宿ビル火災〔2001年〕)
 2001(平13)年9月1日未明、東京・新宿歌舞伎町で雑居ビル火災が発生、44人が死亡した。火災発生直後からテレビが現場中継し、その映像で、このビルには「性産業」風俗店や「賭博」麻雀ゲーム店が入っていることが明らかにされた。犠牲者の中には、それらの店で働く従業員や客が含まれていることが予想された。しかし、テレビの速報は、犠牲者のプライバシーには無頓着に、亡くなった方たちの実名・年齢などを「わかり次第」報じた。
 新聞は、朝日新聞毎日新聞産経新聞が1日の夕刊、2日の朝刊で、「わかり次第」被害者の実名を報道した。朝日新聞産経新聞は、「手に入り次第」顔写真も掲載した。
 一方、東京新聞は被害者を匿名報道した。読売新聞は1日夕刊で一部行方不明者の実名を報じたが、2日朝刊からは匿名に切り替えた。東京新聞、読売新聞は「名前を伏せた」ことの理由として、被害者がいわゆる「キャバクラ」に勤務していたり、その客であったりしたことを配慮した、と説明した。被害者の中には、地方から上京し、親には内緒で「風俗店」でアルバイトしながら学校に通う女性もいたという。犠牲者の家族が、「実名・風俗店アルバイト報道」で、さらに傷ついたことは容易に想像される。
 朝日新聞では、この被害者報道が、社内の「報道と人権委員会」定例会で
議題に挙げられた。「なぜ実名を報じたか」について、社会部長は次のように報告した(9月23日付)。
 《固有名詞は事実を正確かつ具体的に報じるうえで欠かせない要素だ。人の生死を扱う事件報道の場合、それはニュースの根幹と言える。今回の火災は44人の死者を出した大惨事だった。客や従業員にとっては、理不尽な不慮の死だった944人という数字だけでは、一人ひとりの命の重みが伝わらない。その意味で、顔写真も名前と同様、重要な要素だと判断した。仮にこれだけの惨事で犠牲者をすべて匿名で報じたとしたら、これまでの実名報道の基本原則を変えることになる。一人の人間が迎えた最期を、ありのままに伝えることは、事実を伝える報道機関の使命であると考える)。
 この社会部長は、もし自分の家族がこのような「最期」を迎えた場合、それを新聞社の「実名報道原則」や「報道機関の使命」のためと称して実名・顔写真入りで報じら/れても、それを甘んじて受け入れることができるのだろうか。
[4] 警察に匿名発表を求めた遺族
(J R福知山線事故〔2005年〕)
 2005(平17)年4月25日朝、兵庫県尼崎市のJR福知山線で、満員の通勤・通学電車がスピードを出しすぎ、急カーブで前5両が脱線、うち先頭の2両が線路脇のマンションに激突して大破、乗員・乗客合わせて107人が死
亡、562人が重軽傷を負った。
 この大事故に、新聞・テレビは激しい報道合戦を展開、各社が競って被害者の顔写真を掲載し、「生前の様子」を取材して、物語仕立てで十突然の悲
劇」を報じた。
 兵庫県警は、死者107人のうち、4人については「遺族からの承諾を得られない」として名前・住所を発表せず、メディアに広報したのは「性別、年齢、自治体名」にとどめた。また、遺族のうち何人かは、新聞社に直接「名
前を出さないでほしい」と申し入れた。
 その結果、朝日新聞、読売新聞は5人、毎日新聞は6人を匿名で報じた。しかし、、これは言い換えると、遺族が警察に匿名発表を求めた被害者以外は大半の被害者が、当事者の意向に関係繁く実名を報道され、その多くが顔写真も掲載されたことを意味する。
 メディアはなぜ、それほど「実名報道」に固執するのか。2005年10月、筆者が事務局を務める「新聞労連ジャーナリスト・トレーニングセンター(JTC)」が事故現場に近い尼崎市内で開いた記者研修会で被害者遺族の男性は、自身が受けた取材についてこう述べた。
 「被害者(妻、妹)の顔写真を載せない約束で取材に応じたのに、同じ社の別の記者が集めたという顔写真を掲載され、約束を破られました。記者は、被害のつらい話は聞いてくれるし、記事にもなるのですが、JRを相手に原因究明の交渉を進めても、そのことは取材も報道もしてくれません。悲惨な事故の被害者遺族として、原因究明のために努力するメディアには協力するつもりですが、同情を煽るだけの報道の素材にはされたくない」。
 実名・顔写真とセットでなければ「悲劇のストーリー」は描けない。そんな思い込みがメディアの側にある。それが、「被害者実名報道」にこだわる大きな原因ではないか。
[5] 警察に実名発表を迫ったメディア
(福山ラブホテル火災〔2012年〕)
 2012(平24)年5月13日早朝、広島県福山市で主に「ラブホテル」として使われていたホテルが全焼し、宿泊客のうち7人が死亡、3人が重傷を負った。新聞・テレビはこの火災を大きく報道したが、死傷者10人に関する記述は、各メディアとも「居住する都道府県名、性別、年齢」にとどまり、詳しい住所、名前は報道されなかった。
 これは、広島県警が、死傷者に関する個人情報の公表範囲を「国籍、居住県名、性別、年齢」にとどめた結果だった。これに対し、広島県警記者クラブは県警に「実名公表」を求めたが、県警は「遺体の身元確認ができても姓名、住所は発表しない」と各社に通知した。
 県警は非公表とした理由について、記者クラブ側に「特殊な場所での火災なので、実名を出すメリットよりデメリットの方が大きいと判断した。亡くなった方のプライバシー保護の観点から実名、職業は出さない」と説明した。
 これに関連し、共同通信は5月14日、《匿名発表に懸念の声「警察が情報操作の危険」)と題した記事を配信した。記事は《各地の警察では匿名での発表が進んでいる)と指摘したうえで、《警察は捜査機関であって、個人情報の公表、非公表を判断する機関ではない。プライバシーで最終責任を負うのは報道機関〉(大谷昭宏氏)、《第三者の立場ではない警察を通して被害者の声が伝わるということが一番の問題。特殊な利害によって、情報が操作されることになる危険性を秘めている〉(田島泰彦上智大教授)との談話を掲載した。
 JR福知山線事故では、警察が実名を発表すると実名報道、匿名にすると匿名報道になった。報道機関は、実名・匿名を自主的に判断し、「プライバシーで最終責任」を引き受けているだろうか。「警察の情報操作」を容易にしているのは、メディアの無責任な対応ではないだろうか。
[6] メディアの「被害者実名報道」の論理

 事故・犯罪被害者の氏名を、当事者の意思に関わらず勝手に公表し、報道するメディアの論理は、どのようなものか。読売新聞、朝日新聞の報道基準から見てみよう。
 2003(平15)年1月に公表された読売新聞社の「『人権』報道」は、被害者に関する記述原則として、追加の4点を挙げている。
 ①被害者は原則として実名で書く。ただし、重要犯罪とまではいえず、被<害や事件に社会的広がりが顕著でないときは、一般私人の場合は匿名を選択できる。未成年も同じ。
 ②家庭内の惨事の被害者は、負傷の場合は状況により匿名を選択できる。ただし、死亡のときは原則として実名で書く。
 ③性犯罪の被害者は匿名で書き、被害者が特定されないよう記述全体に配慮する。
 ④性犯罪の被害者が死亡したときは、実名で書くのを原則とする。ただし、裁判開始時以降は匿名で書くことができる。

 次に、2004(平16)年6月に公表された朝日新聞社の「取材と報道」指針は、①被害者への配慮として「事件直後などに取材を無理強いしない」「遺体の帰宅時は写真取材を原則自粛する」と明記、②報道の役割を「犯罪情報の共有化と危険の軽減」と規定し、共有すべき情報に「氏名」を含めて「実名原則」を再確認したうえで、こう述べている。
 《報道には、事件を身近に感じてもらうリアリティ(現実性)が求められる》《氏名は、人が個人として尊重される基礎となる情報であり、社会の中で生きている証しだ。そのように考えたとき、報道はやはり実名から出発すべきだと思う。そのうえで、実名原則の理由を①リアリティを持って情報を共有する②捜査当局などの懇意的な情報隠しや誤りを市民の側からもチェッ<クする③匿名報道では「犯人捜し」や「疑心暗鬼」が広がるなど無用な混乱<を招く。
 だが、果たして「被害者の名前掲載を決める権利」はメディアにあるだろうか。朝日新聞が言うように、もし氏名が「人が個人として尊重される基礎となる情報」なら、その情報をコントロールする権利は本人・家族にあるはずだ。氏名を報道されたくない場合もある。その意思を確かめず、新聞が勝手に「実名から出発」するのは、報道される人を「個人として尊重」していないからではないのか。
 「被害者実名報道」について、メディアは「報道の公益性」など さまざまな「理由」を挙げるが、本音と実態は、別のところにあると思われる。
 大事件・大事故や特異な事件が起きると、メディアは集中豪雨のように大量の記事で紙面を埋め尽くし、ニュース番組もその事件一色にしてしまう。そして、「犯人の残虐さ」「事故の悲惨さ」を強調するために、「被害者・遺族の悲惨さ」をクローズアップする。その際、被害者の写真、家族の思いは、悲劇を描くための「素材」となる。遺族の悲しみを無視した無神経な取材もそこに起因する。そうした「被害者報道」は、読者・視聴者を惹きつける(とメディアは考えている)。「匿名」では、そうした晴緒的な被害者報道ができない。それが、「被害者実名報道」の本音ではないだろうか。
 筆者も加わって、報道現場の記者たちが様々な報道被害例を検討・分析し、報道のあり方について提言した「報道基準研究会」の「匿名原則」提言(『資料集 犯罪報道と人権』〔法学セミナー増刊、日本評論社、1986年〕)は、「被害者報道」について、次のような改革案を提示した。
 ①事件、事故の報道内容として不可欠な場合(例えば公人や有名人が被害者となり、それ自体がニュースとなるケース)を除いては、被害者も原則として匿名とする。
 ②顕名報道する場合は、本人や家族の意向を聞き、その意志を尊重する代表取材)。
 ③飛行機事故、大規模火災などは、メディアを通じて、問合せ先を繰り返し知らせる。それから26年、この提言は残念ながら実現されず、今なお、有効性を持っている。

 

(やまぐち・まさのり)