艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

海と安全 2013・秋号より

5Gになったら今回の状況、何がどう変わるのかと思っていたのだが、

表題:海と安全 2013・秋号、「大災害時に果たした漁業無線局の役割と今後」に、参考にすべき点、今回と比較検証すべき点が多々あったので、目に付いたところを抜書き、順不同。

 

 震災時、通信インフラが壊滅し連絡手段が途絶え孤立した漁村において、27MHzに代表される漁業無線は、今後被災地の漁業者そして無線局にとって災害にも強く有効な事が実証された。


昭和8年の三陸津波においても今回と同様、釜石無線局が漁業無線により釜石の惨状を他の無線局を介して岩手県庁に送り、震災から命を守ってくれた歴史の教訓からも学ぶ事ができる。


携帯電話不通2週間、固定電話および専用回線の不通1ヶ月、光電話の不通は数ヶ月間に及ぶ非常通信体制であった。

 

 地震発生直後から陸上の外部との連絡が一切途絶えた中で、この空前絶後の悲惨な釜石の状況を一刻も早く知らせねばと思った。
 20時30分、国際遭難周波数2182kHz で「誰かこの周波数を聞いていませんか!」と叫ぶ。本来、国際遭難周波数2182kHzは漁船などの船舶を対象とする呼出用通信周波数である(陸上の無線局間の通信は電波法令違反)

 呼び出し直後、茨城県や千葉県など全国の無線局から「皆、聞いているよ」と応答があり、大いに励まされ安堵した。


 22時過ぎ、茨城県や千葉県無線局から岩手県庁に電話が繋がることが判り、また12日早朝には、沖へ避難した県漁業調査船「岩手丸」の衛星船舶電話と岩手県庁が繋がり

この事により漁業無線を媒体とする2つの通信ルートを確保した。

 

 この2つの通信ルートにより、無線局に避難した水産技術センターの全職員50人の安否確認や、連絡手段がない周辺の高校や中学校へ避難していた生徒や先生、一般の人など500人以上の生存確認と氏名などを、徹夜で翌12日朝までに岩手県庁に送り続けた。

 

 茨城県や千葉県無線局は、所属船が津波に流されたり沖合に避難している状況の中、非常通信体制で釜石無線局と連絡にあたってくれた。

 

 大槌湾に面する避難所で、人工透析患者の容体が悪化。家族の悲痛な叫びを聞いた漁業者が、避難して無事だった漁船から27MHz で当無線局を呼び、無線局からヘリの手配を要請したり、避難所から町内会長さんが無線局に来て怪我人の救助のための救急車とヘリの手配を要請、また避難所に掲示されている家や家族を失った多くの被災者の切実な願いや伝言・安否情報などを県庁に送った。連絡手段が壊滅した中で、まさしく漁業無線だけが命綱であった。

 

 15日早朝、青森県無線局から無線で発電機の調子悪いと連絡あり、釜石無線局だけでの代行通信は困難と判断。茨城県無線局経由で(一社)全国漁業無線協会(漁業無線局の全国団体)にバックアップ体制を依頼。各局とも臨機の措置でみな協力してくれることとなり、これによ-り被災局の所属漁船との連絡は途絶えることがなかった。

 

 気象・航行警報などは、青森県無線局や油津無線局から短波無線電話にて入手し沖合に放送した。また津波で被災した石巻市にある宮城県無線局、原発事故により一時避難したいわき市にある福島県無線局所属マグロ漁船などとの代行通信を青森県無線局と2局で短波無線電話やモールスにて1カ月以上行った。

 

 国際遭難周波数2182KHzは、被災した塩釜保安に代わり巡視船が呼び出す海上自衛隊航空機と交信し、漂流船などの確認を行っていた。当無線局も関係漁船がいないか聴き、巡視船と何度かこの周波数で交信した。

 

海と安全 2013・秋号

PDFの19~25

大災害時に果たした漁業無線局の役割と今後
~被災情報を発信し続けた釜石漁業無線局の対応~ 

より抜き書き。