無能と言論弾圧、児童虐待や生徒虐待の代名詞を、18歳有権者世代とその家族にぶつけて、自民はいったい何がやりたいんだ?そんなに政権交代したいのか?
新自由主義者は、格差を意図的に拡大させることで利権となし、弱者を虐げることで肥え太ってきたんだなと改めて。
少なくとも、極めて規模の大きな9月入学氷河期が引き起こされるのは間違いなかろう。
今年の9月、来年9月へ入学時期、始業時期を移行した場合、はたして何人の日本→海外、海外→日本への留学が想定されるのか、コロナ以前と比較してポストコロナ時代の直近数年はどの程度の激減になるのか、シミュレーションくらいはしてんでしょうな。
仮に9月入学に賛同している高校生がいるとしたら、そこのあなた、この9月や来年9月に国外へ留学したいと思いますか?
ポストコロナ時代においては、同等規模の感染症の地域的、全国規模での流行、蔓延が繰り返されることを前提に、現行と次期の学習指導要領/カリキュラムのトリア-ジ、1学年限定ではなく複数年スパンでの危険分散と激変緩和、小中、中高、高大の岩盤の撤廃(大学入学後の補講含め)。入試においてそれらが難しい場合は出題範囲の限定を。
武漢ウイルス対策と大規模学校行事との共存が可能なのか俺にはわからんが、仮にそれが可能だとして、修学旅行や体育祭、文化祭、地区や全国規模のスポーツ、文化の祭典をやりたい児童生徒がいるのであれば、それらを “選択的に” 行っても十分に吸収できると俺は踏んでいるけれど。(やりたくない児童生徒にまで強制するのはどうかとも思うが)
ただし、繰り返すが現時点、直近ここ数年において、共存が可能なのか否かは俺にはわからんけどな。
いったい何を前提として論点の洗い出しやら議論やらをしているのか、さっぱり。少なくともコロナ以前とポストコロナ時代を分けて、比較、分析、検討しているとはとてもじゃないが思えない。
特攻と同義としか思えぬ9月入学も含めて、コロナ以前の延長線上で鉛筆舐め舐めしてんじゃねーのかと。