確かに国主導の北方領土の日(2月7日)が閣議決定されているなら、竹島の日も県の条例だけでなく、国主導で閣議決定すべきだわな。そりゃ地元からしたらおかしいと思うのが当然というもの。冷戦だろうが何だろうが。検定教科書ではどんな記述になっているんだろう。
(ついでに。竹島カレーが報じられていたらしいが、金型ならぬ3Dプリンターの型を海保の巡視船艇、海自の護衛艦その他に送ったら、2月22日の前後には使ってもらえますかね?俺は竹島ネコをおしてるんですが、まぁそれはそれとして。)
竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島(トクト))の領有権確立を国内外に訴える島根県の「竹島の日」(22日)を前に、開会中の2月定例県議会では竹島に関する質問戦が熱を帯びている。丸山達也知事は前進や改善が見られない領土問題について、政府の対応改善を訴えた。
記事詳細へ
16日の会派代表質問で嘉本祐一議員(県議会自民党)は、全国組織の北方領土返還要求運動都道府県民会議で、島根県のみが「竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議」と、竹島の名を入れていることへの見解を聞いた。
丸山知事は「他の県の認識不足というより、政府の扱いが北方領土と同等になっていないことが影響している」と指摘。県側から他県に竹島の名を入れるよう働きかけることは「本末転倒」とし「政府に原因がある」と強調した。
17日には隠岐選挙区選出の吉田雅紀議員(自民党議員連盟)が領有権確立に向けた考えについて質問。
丸山知事は「日韓問題への影響を考慮しているために、竹島問題で損害が生じている。単に『我慢しろ』という話は成り立たず、外交としてやるべきことができていないということに対して、国は対策を講じてもらいたい」と語気を強めた。
竹島の日(たけしまのひ)は、島根県が条例により定めた記念日。2月22日がこれに定められた。
概要
竹島の日は、2005年(平成17年)に「竹島の日を定める条例」(平成17年3月25日島根県条例第36号)により定められた。
島根県隠岐郡隠岐の島町の竹島は、日露戦争中の1905年(明治38年)1月28日に島根県への編入を閣議決定し、同年2月22日に第16代島根県知事の松永武吉が所属所管を明らかにする告示を行った(明治38年島根県告示第40号)。なお日本海海戦(1905年5月)、日韓保護条約(第二次日韓協約),1905年11月)、韓国併合ニ関スル条約(1910年8月22日調印)以前の決定である。
2005年はこの閣議決定および告示から100周年にあたることを記念して、同年3月16日、島根県議会は2月22日を「竹島の日」とする「竹島の日を定める条例」を制定し、澄田信義島根県知事もこれを全面的に支持した[1]。
同条例1条は、「県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。」としている。
北方領土の日(ほっぽうりょうどのひ)は、北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るために制定された記念日。2月7日。
行事
閣議了解では「この日を中心として全国的に集会、講演会、研修会等の行事を行い、この問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層強力な推進を図る」とされている[1]。
具体的には毎年、東京都内において青年、婦人、労働などの全国組織からなる実行委員会によって「北方領土返還要求全国大会」が、内閣総理大臣や外務大臣など政府代表、衆参両院代表や各政党代表らの出席のもと開催されている。また、全国各地でも北方領土返還要求運動都道府県民会議によって、都道府県民大会や講演会、パネル展などが企画実施されている。
尖閣諸島開拓の日 は1月14日だそうです。