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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

日独首脳、経済安保巡り協力強化で合意、独閣僚 26年ぶり台湾訪問へ

ネットで、日本の経済安保相の罷免説が流れているが、なんだそりゃ?
そも、解釈は変わっていないということだが、昭和39年当時の解釈へ回帰させるでもいいんじゃなかろうか。
化け物のように変貌を遂げ、過剰なほどの既得権益の塊と化した捏造番組どもがどうなるのか知らないが。在日入社/入局枠特権の賜物か、すっかり外患の走狗になり果てたものも散見されるようで。

www.bloomberg.co.jp

www.sankei.com

放送法(昭和二十五年法律第百三十二号)
(目的)
第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。

 

ニュースキャスターのコメント
    『JNNニュースコープ』で17年間キャスターを務めた古谷綱正は、あくまでストレートにニュースを伝えることに徹し、「日本のウォルター・クロンカイト」と評された。当時古谷は「キャスターがいい気になって意見を言うのは、反感を呼び不信感を煽るでしょう。大切なのはニュースに対する “姿勢” というものです」とあくまで客観的にニュースを伝えることこそが重要だとした。

 

    フジテレビ『FNNニュースレポート23:00』のキャスターを務めた俵孝太郎は「ニュースは鉄仮面のごとく読むべきだ」と述べ、

 

JNN報道特集』で長年キャスターを務めた堀宏はサイゾーのインタビューで、「(放送法の規定を挙げた上で)ニュース番組は新聞のように評論をすべきではない」と発言している。

 

    日本テレビNNNきょうの出来事』で長年アンカーパーソンを務めた櫻井よしこは、「アンカーパーソンは言葉で批判するのではなく、データの選定で批判するべき。」とし、キャスターは私的なコメントで判断を下してはいけないと語っている[6]。

 

また、櫻井の後任キャスターを務めた井田由美も、「私はキャスターコメントは行わず、ストレートにニュースを伝えることを重視していました」と語っている[7]。

 

    RKB毎日放送RKBニュースワイド』初代キャスターの三善英毅(現在第一経済大学教授)は1982年、朝日新聞のインタビュー記事で「キャスターはニュースの解説役という考えもあるが、私はニュースの整理役だと思う。ニュースに手を加え、データを盛り込んでいったら終わり」と発言している。

 

    日本のニュースキャスター第1号は、1962年10月1日にスタートした『JNNニュースコープ』(TBS)の田英夫戸川猪佐武とされる。

 

    NHKでは1974年4月、磯村尚徳による『ニュースセンター9時』が放送開始。ニュース原稿を読み上げるのみであったそれまでの『NHKニュース』とは違い、喋り言葉を積極的に使った。政治→経済→社会というNHKでは当たり前だった放送順序の慣例を、意識的に排除するなどの変化も見せた。NHKのサイトはこの番組からニュースキャスターという言葉が一般的に使われるようになったと述べている。[3]

 

    1985年10月にスタートした久米宏による『ニュースステーション』(テレビ朝日)は、それまでの報道番組を変えた番組と認識されている。インタビュー取材でよく久米は「私はニュースキャスターでなく司会者」と発言している。

 

    1989年10月、筑紫哲也による『筑紫哲也 NEWS23』の放送がスタート。平日のニュース番組でキャスターの名前が番組名に記載されたのは初めて。

 

今現在の国会にて、解釈がなされた当時の(国民共有の財産としての)電波にのせられた、ニュースやら報道番組やらを流して欲しいもんだわな。そしてそれを国会中継を通じて今現在の日本中(のお茶の間?)に放送すると。まぁ、ネットもあるかもしれないが。

 

昭和39年(1964)7月2日(木曜)

0600~1200

 

1200~1800

 

1800~2000

 

2000~2300

 

 2300~2400

 

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