艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

当初、親米寄りと見せかけていた馬英九が実は支那中共そのものだった事例


にそっくりと思ってしまうのだが、

下記再掲の書き込みには、
いわゆる”みみっちいブーム”の資金源の一端が垣間見える‥
とも思えなくもないわけで。

(顕在化までに時間を要したのは、”両者”の利害得失に少なからず重なる部分があったからだろうか

記念日、記念日と公共の電波をアテクシして占領、(金か忖度か違法行為かで)
大量プロパガンダをやらかしそうなので、しつこく下記に再掲。

(もともとは”パン屋は非国民か”に対しての書き込みだったんですけどね)

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むしろ次期学習指導要領で必修化されるらしい高校の新教科”歴史総合”(近現代の日本史・世界史を融合)で詳しくふれるべきではないかと。

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以下、水田稲作と土壌肥料学 (2) よりコピペ。

戦後のGHQ占領下の政府は、食料問題の解決を政策の最重要課題とした。行政、研究、普及が一丸となって、農地の拡大と単収の増加をめざして、まい進した。その結果、終戦から15年後の昭和35(1960)年には、コメの供給率は100%に達する。すなわち、すべての国民が食べたいだけコメを食べることができるようになり、1人あたりのコメ消費量は118kg/年となった。ちなみに、この時の食料自給率は約79%となっている。
2.コメ食否定論の横行と洗脳
上記のように戦後の食料事情が好転し始めた昭和33(1958)年に、その後の農業に大きなダメージを与えることになる一冊の本が出版される。それは、慶応大学医学部教授の林 髞(はやしたかし)の著書 『頭脳』 である。この本は、今でこそ “迷著” としてほとんど葬り去られ、探すのにも苦労する。しかし当時は、発売後3年目にして50版を重ねるベストセラーとなり、日本の社会へ与えた影響はきわめて大きかったのである。筆者も、この本のことは、中学生のころに担任の教師から聞いた記憶がある。テレビや電話がようやく庶民に普及し始めたこの時代に、田舎の中学生にまで情報が届いたというのは、まったく驚きである。
迷著というより悪書と言っても余りあるこの 『頭脳』 の中には、「コメ食低脳論」 がまことしやかに述べられている。林氏は、日本人が欧米人に劣るのは、主食のコメが原因であるとして、
・・・・・これはせめて子供の主食だけはパンにした方がよいということである。 (中略) 大人はもう、そういうことで育てられてしまったのであるから、あきらめよう。悪条件がかさなっているのだから、運命とあきらめよう。しかし、せめて子供たちの将来だけは、私どもとちがって、頭脳のよく働く、アメリカ人やソ連人と対等に話のできる子供に育ててやるのがほんとうである
と述べている。この記述は、まったく科学的根拠のない暴論と言わざるをえないが、当時は正しい学説として国民に広く受け入れられてしまった。
林氏はまた、専門でもない農業や農政のことまで口出しして、
結局、米作りというものは、自由競争で勝ってゆく産業ではない。 (中略) 貧農を宿命とする米作りだけにとらわれていて、農政を考えてはまちがいで、どうしても小麦生産に切りかえることを考えなくてはならない。 (中略) 農政というものを考えるのに、一度だけ米をやめるという立場で考えてみてはどうであろうか
とも述べている。これはもう、徹底したコメ食や水田稲作の否定論である。
また、当時の朝日新聞のコラム 「天声人語」 にも、次のようなコメ食否定論が掲載されている。その文章を原文のまま引用すると、
近年せっかくパンやメン類など粉食が普及しかけたのに、豊年の声につられて白米食に逆もどりするのでは、豊作も幸いとばかりはいえなくなる。としをとると米食に傾くものだが、親たちが自分の好みのままに次代の子供たちにまで米食のおつき合いをさせるのはよくない (昭和33年3月11日付)
さらに、
若い世代はパン食を歓迎する。大人も子供の好みに合わせて、めしは一日一回くらいにした方がよさそうだ (昭和34年7月28日付)
である。
慶応大学医学部教授の肩書きや、朝日新聞というマスコミパワーにより、一般国民はこの “まやかし理論” に、すっかり洗脳(マインドコントロール)されてしまった。
この当時は、アメリカのコムギ生産過剰による日本への売り込み戦略もあったというが、これ以後、国内の各地で 「洋食推進運動」 が実施されることになる。日本人の食生活近代化というスローガンのもとに、「栄養改善普及運動」 や 「粉食奨励運動」 が展開されたのである。これらは、まさに欧米型食生活崇拝運動であり、和食排斥運動でもあった。キッチンカーという調理台つきのバスが、20数台で分担し、全国の都市部のみならず農村部まで津々浦々を巡回して、パン食とフライパン料理などの試食会と講演会 (林 髞教授もしばしば動員されている) をくり返した。これらの強烈なキャンペーンには、農家の人たちまでが洗脳されて、欧米型食生活崇拝の考え方に陥ってしまったのである。短い期間に伝統的な食文化を変化させてしまった民族というのは、世界史上でもほとんど例がないそうである。洗脳キャンペーンがあまりにも強烈だったのか、それとも日本人がもつ本来の民族性によるものなのか、その検証はほとんど行われてない。
そして、このころから、わが国ではコメ消費量の減少が始まり、コメの生産過剰から水田の生産調整へとつながって行くことになる。これはまた、わが国の農業、農政が凋落(ちょうらく)する始まりでもあった。また食料自給率の低落が始まるのも、この時期と一致している。
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以下、wiki 木々高太郎戦後の活動 より

1960年、『頭のよくなる本』で「頭脳パン」を提唱。米食を止め、パンを主食にするべきだと主張した(なお、この木々の主張の背景には、アメリカに本拠を置くいわゆる「穀物メジャー」からの強い働きかけ、さらには研究費の提供等があったことが現在では判明している)。