艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

”市場は1つ” 論がさっぱりわからんのだが、


今現在の東京都下の中央卸売市場は、当然ながら 1つではなく 11。

平成元年に、中央卸売市場としての大田市場が業務を開始し、
青果
神田市場、荏原市場、荏原市場蒲田分場を統合、1989年(平成元年)5月~
水産
大森市場が移転し、1989年(平成元年)9月
(訂正)

という理解でいいんですかね。

で、ネットにはそれらしき記述もあるんだが、東京都下の中央卸売市場には
今現在において上限はあるんだろうか。
おそらく上限が11ということはないと思うんだが。

築地の水産部門、卸売会社の中には、東京都下の中央卸売市場 
3ヶ所全てもしくは2ヶ所に、支社形態や関連会社形態として参画し、
市場(水産部門)を形成しているところもありそうなもんだが、
それらも1つに集約せよ、ということなんだろうか。

もし上限が11でないとすれば、(一時的、過渡的な形態として)築地と豊洲の両方を中央卸売市場にしてもなんら問題はないと思ってまして。
そりゃ確かに安定的、中長期的には、卸と仲卸が一体化している方が望ましいとは思うけれど。
(減少傾向とはいえ、築地の規模は世界的に見てもそれだけ巨大だということ)



環状二号線が通らなくて不幸になるのは、選手・役員でも都民・国民でもなく、
モリモト組織委員会と、地上げ屋ぼったくりな連中だけでしょ。
(都庁関係は知らない。どっち向いてるかによるんですかね)

近代オリンピック精神と、その対極にあるナンタラ原理主義を、
くれぐれも混同しないように。



先回、東京オリンピックの開会式を祝日に指定したのは理解できるんだが、
2020東京オリンピックを”祝う”気持ちというのは、俺には分からんわな。

水俣関連、第二水俣関連無理やり”祝え”と強要されてるような感覚。

あ~、第二水俣関連が日本体育協会の会長をしていた時期もあったんだっけ?
どんな経緯があったのか知らないけれど。

今の日本体育協会の会長は味の素なんだってね
なんでトヨタはやめたんだろう(棒)。

1995年4月 - 2005年3月 安西孝之
2005年4月 - 2011年3月 モリモト
2011年4月 - 2017年6月 (トヨタ自動車会長)
2017年6月 - 2017年6月 (味の素会長)


味の素のwikiより
1907年(明治40年) - 鈴木三郎助合資会社鈴木製薬所を設立
1917年(大正06年) - 株式会社鈴木商店を設立(創立の日)
1925年(大正14年) - 株式会社鈴木商店合資会社鈴木商店を統合し株式会社鈴木商店を新設(設立の日)
1932年(昭和07年) - 味の素本舗 株式会社鈴木商店に社名変更
1943年(昭和18年) - 大日本化学工業株式会社に社名変更
1946年(昭和21年) - 味の素株式会社に社名変更


昭和電工 創業社長のwikiより

明治41年(1908年)12月、総房水産株式会社(資本金5万円)を設立し、営業部長となる。日露戦争の戦費調達のためヨードの副産物の食塩が専売制になったうえ、日露戦争による需要がおさまったことで、政府はヨード業者の統制を目的に合併を推奨してきた。そこで 矗昶 と 安西直一 は、この機に乗じて千葉県内のヨード業者を半ば強引に大同団結させたのである。社長に森為吉、専務に安西直が就いたが、実務は矗昶が取り仕切り後に常務となった。経営は順調で、第一次世界大戦による好況をうけて大正6年(1917年)には資本金150万円、海外に製品を輸出するまでに成長したが、翌年大戦が集結すると反動不況で一転経営危機に陥り、翌年東信電気株式会社に吸収合併される。

水力発電[編集]
東信電気株式会社への吸収合併は、 鈴木三郎助 との縁によるものである。鈴木はかつて日本化学工業の専務としてヨード事業にあたっており、同じ房総半島の館山にヨード工場を構えていたが、他にも事業を展開していた鈴木矗昶の求めに応じてこの工場を譲っていた。矗昶鈴木に合併を懇願したため、鈴木は重役たちの反対を押し切ってこれに応じた。これは鈴木矗昶の経営手腕を認めていたこともあるが、高橋保が総房水産の工場の価値を認めたことも大きかった。