天長節です。旗日です。
今年は昭和93年ですね。
あえて、異論は認めない。
以前に、何か書いたなと思って検索かけたら、
下記の書き込み(2017/4/26(水) 午前 8:24)が出てきた。
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https://blogs.yahoo.co.jp/tu_ray_0g_0s1/49120466.html
自分でいつからキンヂョー表記していたんだろうと遡ったら、
2016/8/9(火)、8/8(月)頃らしい。
当時の時代背景を思い出しますわな。
変わったものと、なんら変わっていないものと。
(書かない方がいいのかもしれないが、現在の学スー院の院長は小田急の出身らしい。だから何だという話ではあるのだが。学スー院においてすら、統合ではなく分断の象徴ということか。)
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ぱっと見の雑感を2つほど 2016/8/9(火) 午前 8:34
特番らしきものは1つもみてないし、原文もよく読んでないのだが、
(数ヵ月後にみるかもしれないし、いくつかの語彙で検索かけてはいるけれど)
平成以降、推し進めてきた(あるいは加速させてきた)宮中祭祀の破壊とぶち壊しを隠しきれていないという印象。
摂政制度その他の変動が、危惧された憲法/典範への権能行使だとすれば、
(マスゾエでも誰にでもできるいわゆるどーでもいい公務ではなく)
国事行為としての即位の礼(典範第24条)、大喪の礼(典範第25条)に関しても同様ではないのかな。
(ついでに書けば、俺は不必要極まりない火葬にも、前代未聞のショーダミチコの贅に過ぎる=キンヂョーと同格の陵にも反対なので。
資材価格、人件費の高騰が大騒ぎになる中で、なにがどうなったことやら。”国民のため” が聞いて呆れる)
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”国民統合の象徴”という言い方はみえるようだが、”国の象徴”は無いようで。
仮に後者の中に、領土(領海、領空)の(統合の)象徴を含意しているとすれば、
それはまさにショーダミチコ問題、オワダマサコ問題であり、
さらには今そこにある尖閣の危機そのもののはずなのだが、そうした認識は欠落しているのだろうか。
水俣、阿賀野川もそうだが、何度も沖縄に行くなら尖閣周辺、近隣漁民の声を直に聞くべきで、あれだけド派手な ”政治活動” が仮に ”許されるとするならば” 、近隣漁民を訪問するなり、招くなり‥‥。
(現地ではすでにその時は過ぎたという人もいるかもしれないが)
https://blogs.yahoo.co.jp/tu_ray_0g_0s1/48820208.html