艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

国賊、コイズミ、ケケナカ政権でも似たような話がありましたな。~のご意向と。

あの頃はまだ明々白々な憲法違反の政治権力の行使、すなわちビデオメッセージ(作、演出、ダメだし:ショーダミチコ、演:キンヂョー)には手を染めていなかったらしいが。
あの国賊、大逆賊どもは、311の巨大災害で味をしめやがったんだよな。悪魔としか思えない。)

ショーダミチコの”思い出の地”であると同時に、
第二水俣病の被害者・被害関係者にとっても”思い出の地”になるわけだわな。


正田邸解体の経緯
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4678762.html


旧正田邸
http://kishida.biz/column/2004/20040827.html


しかし、物納当時は地価がどんどん下がり更地にしないと売れないというのが財務省の主張だった。
そこで財務省の幹部は、正田邸の保存には美智子皇后が反対されていると関係議員に吹聴しだした。
これに怒った民主党西村眞悟議員が「財務省は国有財産の処分に以前の所有者の希望を聞くのか」と噛み付いた。ごもっとも。
そんな中、正田邸をぜひ軽井沢に移築してほしいと軽井沢町長が保存に名乗りを上げ、保存運動は絶好調に。
すると今度は宮内庁が「皇后さまのお考えとして、保存を望む人々の気持ちを本当にありがたく思われながらも、実家を残してほしいとのお気持ちのないことを常々申されている」軽井沢町長に伝え断念させた。

表題の件、憲法違反の廃位(いわゆる退位)強要の件、神道弾圧/皇統簒奪の件、その他諸々…

西村眞悟氏の母方は宮中雅楽を今に伝えるあの東儀家だそうな。
(母・秀子は音楽家・東儀哲三郎の二女wikiより))


日清製粉日清製粉本社グループの今現在の所在地は
千代田区神田錦町一丁目25番地。

1998年(平成10年) 日清製粉千代田区神田錦町一丁目に本社ビルを取得し、3月に移転との記載(wikiより、それまでの入居者はキッコーマンか)。
1999年(平成11年)、正田英三郎死去。
2001年(平成13年)、相続税の一部として物納。
2003年(平成15年)、物納建物を解体。

道路を挟んで上記、千代田区神田錦町一丁目25番地の真向かいは、大手町合同庁舎3号館。ショーダミチコ性悪説を前提にすると、いろいろ重なって見えてくる。

1999年(平成11年)、大手町合同庁舎1号館、2号館の取り壊し、およびその2年後
2001年(平成13年)、東京国税局の3号館への移転が報じられる。
2015年(平成27年)、東京国税局、3号館から中央区築地へ移転


東京国税局の移転が正式に決まる
作成日:1999/02/16  提供元:21C・TFフォーラム

 東京国税局が2年後に移転することになった。小渕恵三首相が減税財源を捻出するために国有財産の売却方針を打ち出しのが昨年の9月。それを受けて国有財産中央審議会(大蔵大臣の諮問機関)に国有地の処分や管理コスト低減を検討する小委員会が設置され、その小委員会がまとめた報告書に、現在の東京国税局が入っている庁舎をはじめとする東京・大手町合同庁舎の敷地売却が明記されている。これにより大蔵省管財局などが売却推進を検討し、このほど正式に東京国税局が受け入れたもの。なお、大手町合同庁舎の敷地売却代金は、関東信越国税局の移転先となる埼玉県の大宮・与野地区の合同庁舎建設費に充てられる。
 こうした背景から東京国税局の移転が決まったわけだが、関東信越国税局が現在入居している東京・九段の合同庁舎は同国税局の大宮移転により空き家となるが、そこに国税最大組織の東京国税局が移るのは狭くて物理的に無理がある。そこで、移転先は大手町合同庁舎の第3号館となる。九段の合同庁舎に入る行政機関は未定。したがって、大手町合同庁舎のうち、地方建設局などが入っている合同庁舎第1号館と東京国税局が入居している第2号館が売られる。売却先は東京都などの自治体やその他の公的機関が優先され、それでも買い手がない場合に民間に売られる予定だ


追記
4月14日、4月15日と書いてきて、あの”風立ちぬ”は、わざとあの通りのデキにしたのかなと思っちまったが(原作は読んでいない)、それが正しいかどうかはともかく、ショーダミチコと日清製粉、ついでに軽井沢が関わるといろいろと大変なんだろうねぇ。あの”映像”はわざと間違いを書いた(描いた)わけではなかろうが。
憲法違反のビデオメッセージのように事前検閲しているか否かは定かではないけれど。