艤装してます

艤装してます

しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

2017年8月3日 - 2019年9月11日の外務相は、河野太郎でしたか。

平成29年8月3日 -平成30年9月11日。

第145-146代 外務大臣

第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣

 

 

 

ゲーム業界がハリウッドの様に、中国に過剰な配慮とかならない事祈る。。

 

 

極論中の極論として、外務省、経産省は、いわゆる従軍慰安婦を主人公としてゲーム化しようとした場合、あるいはいわゆる従軍慰安婦を主人公としてハリウッドその他で映画化の動きが出てきたときにはどのような対応を取るつもりなのか。

ネットを眺める限りでは、黒人ザムライのハリウッド映画化は、主演予定者の死去により止まっている云々とも目にしたが。

 

内閣官房知的財産戦略本部が2010年5月に発表した「知的財産推進計画2010」において「クールジャパン」とされたのは、

「技術力と並んで我が国が強みを持つ文化力(表現力)」つまり「コンテンツ」。

具体的には、「映画、放送番組、音楽、ゲーム、アニメなどのエンターテインメントコンテンツ」。。。

なんのこっちゃ。

 

 

ネット中の皆さんが掘りまくってるらしいので、俺もちょっと掘ってみたんですが。

 

日本とモザンビークの絆と友好

公開日: 2018年1月25日
モザンビーク大使 池田 敏雄

 また、天正遣欧使節団を計画・実施したイタリア人宣教師ヴァリニャーノは、1579年訪日し、1582年まで滞在しました。1581年ヴァリニャーノは織田信長と謁見しますが、従者としてつれていた黒人を信長が召し抱えたいと所望したため献上しました。その黒人の従者はモザンビーク出身であり、信長は弥助と名付け武士の身分を与えて家臣にしたと伝えられています。弥助は訪日した最初のアフリカ人とされています。

www.kasumigasekikai.or.jp

 

話が拡散しすぎるのもアレなんでしょうが、この大使の経歴を見ると、

外務省入省。リオデジャネイロ領事、外務省中南米局南米課地域調整官を経て、2014年(ブラジル)クリチバ総領事。2017年から駐モザンビーク特命全権大使

2008年にヲワダマサコの婿がブラジルへ渡航してるんですが、その頃はどこにいたんでしょ。ちなみに、その時の画像がこちら。

 

もう一つ。

  

 

https://www.jica.go.jp/Resource/publication/mundi/1803/ku57pq000026p31x-att/13.pdf

https://www.jica.go.jp/Resource/publication/mundi/ku57pq00002kfsx7-att/201803.pdf

 

 
 

 

読売新聞読書委員(だけど社員ではない)、でしたっけ。

早めに止めた方がいいと、全力で止めた方がいいと、俺は思うんですけどねぇ。

国家間の、国家国民間の友好親善が目的であるならば。

(それ以外の可能性も多分にあるんでしょうが。)

 

信長の家臣「弥助」の縁、出身のモザンビーク臨時代理大使「万博出展に協力を」…近江八幡市長に要請

 
 
 
 
 

 織田信長の家臣だった外国人「 弥助やすけ 」の出身国とされるアフリカ南東部のモザンビーク駐日臨時代理大使のジョゼ・アントーニオ・ジュスチーノ・ニャルンゴ氏(59)滋賀県近江八幡市を訪れ、小西理市長と面談した。同国は2025年大阪・関西万博に出展するパビリオンで弥助を通じた日本との交流を紹介する予定で、協力を呼びかけた。(中村総一郎)

安土城跡で高木さんの説明を聞くニャルンゴ氏(左、滋賀県近江八幡市で)
安土城跡で高木さんの説明を聞くニャルンゴ氏(左、滋賀県近江八幡市で)

 信長や弥助の歴史に詳しい安土町商工会会長の高木敏弘さん(71)が今夏、仕事を通じてモザンビークの関係者と知り合ったことをきっかけに、ニャルンゴ氏らに近江八幡市への訪問を呼びかけて実現した。

 弥助については、側近が信長の生涯を記した「信長公記」などに記述が残り、イタリア人宣教師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(1539~1606年)がインドから連れてきた使用人だったとされる。1581年(天正9年)2月、信長に引き合わされ、気に入られたという。

 信長公記は弥助について、年齢は26、27歳、十人力の力があった――などと記している。信長が討たれた82年の本能寺の変以降の弥助の行方などについてはわかっていない。

 一方、ヴァリニャーノらが企画した少年らのローマへの派遣団「天正遣欧使節団」が86年、日本への帰路の途中、モザンビークの島に寄港。季節風の風向きが変わるのを待つために6か月間を過ごした交流の歴史もある。

 18日に同市を訪れたャルンゴ氏は小西市長と非公開で面談。市によるとニャルンゴ氏は「関西万博のパビリオン内で、弥助を通じて日本とモザンビークの関係を紹介することを検討しており、協力をお願いしたい」と求めたという。

 ほかにも、8年後に弥助が日本に来て450年となることに触れ、「記念的なことができればと考えている」と提案。小西市長は「安土城は2026年、築城450年を迎える。弥助の来日450年を含めて何か一緒にできるといい。協力させていただく」などと応じたという。

 その後、高木さんの案内で、一行は同市安土町安土城跡や安土城郭資料館を視察。報道陣の取材に応じたニャルンゴ氏は「400年以上前、ここ(安土町)へ来た弥助はモザンビークにとってヒーロー。両国の縁を大切にしたい」などと話した。 

 

www.yomiuri.co.jp

 

 

ネットに流れているものを貼付させていただきます。

 

 

 

 

 

ちょっと気になったんですが、弥助の首って、恩賞とは言わないまでも、何らかの価値ってあったんですかね。