艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

自浄能力なき、本田由紀とお仲間どもの自縄能力、自縄自縛能力

ショーダミチコとヲワダマサコに、悪用されないようにして欲しいものですが。。。

 

本田・東大院教授の皇族へのX問題「尊厳棄損する言動あってはならない」 松本文科相言及

 産経新聞、9/11(金) 14:22配信

 

www.sankei.com

 

 

これまでの書き込みからいくつか。

 

tu-ray-0g-0s1.hatenablog.com

 

tu-ray-0g-0s1.hatenablog.com

 

ノルウェー前国王葬儀、皇太子/皇太弟/秋篠宮皇嗣 同妃 両殿下ご参列

 

ノルウェーの首都で前国王葬儀 秋篠宮ご夫妻が参列へ

 共同通信、9/9(水) 19:42配信

 

 

「国民の祖父」に最後の別れ ノルウェー前国王葬儀、秋篠宮ご夫妻参列

 時事通信、9/9(水) 20:18配信

 

名古屋で東海豪雨上回る1時間104・5ミリの雨、200万人に避難指示

 

名古屋で東海豪雨上回る1時間104・5ミリの雨、200万人に避難指示…「買い物を終え外に出たら」

 読売新聞、9/9(水) 8:45配信

 

「家族に『帰れないかも』と連絡」…帰宅困難者へ一時退避場所も

 

 

本田由紀とそのお仲間どもに、国際学習到達度調査(PISA)を受けさせるべき

 

<主張>東大教授の投稿 皇族への差別看過できぬ

社説

 産経新聞、2026/9/9 05:00

 

東京大学大学院教授の本田由紀氏が、別の人物による、三笠宮彬子(あきこ)女王殿下を含む二方の女性皇族の御写真を添えたXの投稿を引用し「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる」と投稿した。

これに対し「差別的だ」との批判がインターネット上で広がった。当然だろう。

遺伝を持ち出し不快や不信をあらわす投稿は重大な人権侵害につながり看過できない。一般の人々へも言語道断だが、ましてや今回は、反論されたり名誉毀損(きそん)などで国民を訴えられたりすることが事実上できない皇族が対象と受けとれる投稿だ。

日本教育学会の会長、朝日新聞デジタル版のコメンテーターも本田氏は務めている。教育者としてあるまじき投稿で、撤回して謝罪してもらいたい。東京大と日本教育学会は経緯を詳(つまび)らかにし厳正に対応すべきだ。

本田氏が1日に引用した投稿は、女王殿下の皇族費増を非難し「さもしい」などと悪態をつくものだった。

自身の投稿が炎上した本田氏は5日、Xに「曲解を交えた非難は当てはまらない」とした「解説」を掲載した。それによると、1日の投稿は女王殿下ではなく、殿下の伯父として血縁関係にある自民党副総裁の「麻生太郎氏への批判」だったという。麻生氏が「(皇室の)養子制度を推進」し、「強大な権力や財力を背景に、自身の係累を優遇」していると批判した。

あまりに苦しい弁明だ。そもそも、内親王と女王の皇族費増額は男性皇族との格差解消の措置で、麻生氏とは無関係だ。

最大の問題は「遺伝的要因のおそろしさ」と書く発想である。ナチス・ドイツが採ったような特定の人種や人々を排除する優生思想をも想起させる。

 

日本教育学会は倫理委員会で対応を検討中だ。一方、東京大のコミュニケーション戦略課は、産経新聞の取材に、本田氏の上司にあたる教育学研究科長が「個人のSNS投稿についても十分考慮して行うよう(本田氏に)注意をした」と回答した。それで済む話だろうか。

東京大は令和2年、「中国人は採用しません」とSNSに投稿した特任准教授を懲戒解雇している。二重基準に陥らず、人権意識をきちんと備えた、国民の税金投入に値する大学に戻れるかが問われている。

 

 

 

<主張>国際学力調査 油断せず読解力の向上を

社説

 産経新聞、2026/9/9 05:00

 

デジタル端末を使用して授業を受ける児童(米岡佑輔撮影、一部画像処理しています)

先進諸国が加盟する経済協力開発機構(OECD)の15歳(日本は高校1年)を対象とした国際学習到達度調査(PISA)で、日本は読解、数学、科学に関する3分野全てで加盟38カ国中、1位の好成績を挙げた。

日本の義務教育段階の学力向上の取り組みが一定の成果を挙げたことを評価したいが、手放しでは喜べない。

経年変化が分かる得点を今回(2025年調査)と前回(22年調査)で比べると、読解力は13点減の503点にとどまり、統計的に「有意な低下」が見られると指摘された。数学的応用力は525点(11点減)、科学的応用力は538点(9点減)と統計的に横ばいだった。

PISAの読解力の試験問題は文章だけでなく、グラフや図表など資料を読み取り、自分の考えや意見を述べる力を問う。数学など他の教科の土台となる力である。

読解力を巡っては今回の調査を通し、長文を読むことが苦手な課題も浮き彫りになった。出題文を理解する前に、質問を見て答える「急ぎ読み」の傾向が出ているという。日本を含め加盟国全体に共通する課題だ。

ネット社会では文章の中で目立つ「キーワード」だけを拾い読みし、誤読するケースが大人にも見られる。子供の頃から長い文章に親しむ読書習慣などを改めて見直したい。

ほかにも数学、科学的応用力を含め3分野全てで低得点者層の割合が増え、上位と下位の学力差がある二極化の傾向が強まっている。結果をさらに分析し、子供たちの苦手分野の授業改善や工夫につなげたい。

OECDがこうした調査を行うのも学力、教育力が経済力や国力に反映されるからだ。

調査は加盟国以外も参加しており、非加盟を含めた91カ国・地域で読解力の1位はシンガポール(535点)、2位は中国の北京・上海・江蘇・浙江(527点)、3位は台湾(508点)と続く。日本は4位だ。中国は都市部など参加が限定的で単純比較はできないが、アジアのライバルの教育熱が高いことも知っておきたい。

日本は科学への興味・関心や楽しさを感じる生徒の割合がOECD平均より低いなど課題もある。生徒がさらに先を学びたいと思う授業など教員の指導力向上は欠かせない。

 

 

 

皇太子/皇太弟/秋篠宮皇嗣 同妃 両殿下、ノルウェーへご出発

 

秋篠宮ご夫妻、ノルウェーへ出発 前国王の葬儀参列

 共同通信、9/8(火) 10:30配信

 

 

秋篠宮ご夫妻、ノルウェー出発 前国王の葬儀に参列

 時事通信、9/8(火) 10:38配信

 

 

 

秋篠宮ご夫妻、ノルウェー前国王の葬儀参列のため羽田空港を出発

  読売新聞、9/8(火) 10:41配信

 

 

 

備忘録として。東大の教育系とその付属校における【遺伝】研究云々

他の国公立や私立の教育系が【遺伝】を云々するのとは、ワケが違うんじゃなかろうか。

それがわかっていての、アノ言動なのか何なのか。

 

きく処によれば、学内の選挙も近いんだそうで。

いわゆる【人社系のダウンサイジング】とやらの防衛線を、どの辺りに設定するつもりなのやら。

 

いわゆる【人社系のダウンサイジング】には反対の立ち位置をとる人でも、

(どちらかと言えば、俺も反対の方に近いっちゃ近いんだが)

本田由紀とその界隈の利権をダウンサイジング(あるいは同志社および同志社国際高校とその界隈の利権をダウンサイジング)させ、

その減少相当分を、別の人社系へ振り替えて、、、などと言われたら、、、

 

リストA:

本田由紀と心中したい者、および組織・団体

 

リストB:

本田由紀と心中して欲しい者、および組織・団体

 

 

 

(いつも通り、ウラは取ってません。人工知能氏が間違っている可能性もあります。自己責任の下にてどうぞ。)

 

 

 

 
東京大学の教育系学部、大学院、その付属である現在の中等教育学校について、遺伝研究の観点から特筆すべき点を要約してください。

 

 

 

 
東京大学教育学部・教育学研究科およびその附属中等教育学校における遺伝研究(主に双生児研究)の特筆すべき点を要約します。1. 世界的に稀有な長期継続型双生児研究フィールド
  • 1948年の創設時から、教育実践と研究の場として双生児を意図的に受け入れる方針を採用。1953年から正式な双生児入学枠を設け、毎年10〜20組程度(学年全体の約1〜2割)を受け入れてきた。
  • 2020年度以降は枠を廃止して一般選抜に統合したが、一定数の双生児は引き続き入学しており、各学年に10組前後が在籍する状況が続いている。
  • これにより、同じ学校・家庭環境下で6年間の中等教育を共有する一卵性・二卵性双生児の大規模な縦断データが蓄積されてきた。世界でもデンマークなどごく限られた例しかなく、日本では唯一無二の存在。
2. 豊富なアーカイブ・データベース
  • 志願者(11〜12歳)、在学生(12〜18歳)、卒業生(18歳〜高齢まで)の3種類のデータを連結可能なライフコース型データベースを構築。
  • 学力・知能・性格・身体発育・体力・精神保健・睡眠習慣など多岐にわたる指標を継続収集。卵性診断も詳細に実施。
  • 国際誌(Twin Research and Human Geneticsなど)でデータベースの特徴が紹介され、生涯にわたる遺伝疫学研究やDOHaD(発達起源仮説)検証への活用が期待されている。
  • 2013年に附属校編『ふたごと教育―双生児研究から見える個性』(東京大学出版会)を刊行し、実践と研究の成果を総括。
3. 教育学部・教育学研究科との連携による研究の展開
  • 創設者・海後宗臣がCIE(GHQ民間情報教育局)との折衝で「双生児研究」を附属校設置の特色として提案した歴史的経緯がある。
  • 教育学研究科の教員(例:佐々木司教授ら、身体教育学・精神保健分野)が中心となり、医学・心理学・脳科学と連携。学力・性格の遺伝率推定、パーソナリティの安定性・変化、精神保健(抑うつ・睡眠など)における遺伝・環境影響の分析などを実施。
  • 一卵性双生児の不一致例を用いたエピジェネティクスやゲノム解析の試みも含まれる。行動遺伝学の手法で「教育における遺伝的要因と環境的要因の関係」を実証的に検討してきた点が特徴。
4. 研究の意義と限界
  • 意義:純粋な実験環境ではなく「日常の学校教育の中での研究」であるため、教育実践へのフィードバック(個に応じた支援、遺伝と環境の相互作用理解)に直結。国際的な行動遺伝学研究に貢献。
  • 限界・注意点:選抜バイアス(相対的に高SES層が中心)、一卵性ペアの比率が高い傾向、研究対象が特定の学校集団に限られる点は指摘されている。双生児研究は学校活動の中心ではなく「一要素」と位置づけられている。
全体として、東京大学教育学部・研究科の附属校は、戦後すぐから半世紀以上にわたり「教育実践の場で遺伝と環境を同時に観察できる希少な実験校」として機能してきた点が、遺伝研究の観点から最も特筆すべきです。データは現在もアーカイブとして活用され、関連研究が継続しています。
 

 

 

 

東京大学の教育学部・教育学研究科、およびその附属中等教育学校における「遺伝研究(双生児研究)」の観点から、特筆すべき点を以下に要約します。

 

1. 創設期からの「遺伝と環境」に関する一貫した実証研究

  • 歴史的背景: 1948年の開校当初から、教育における「遺伝と環境」の影響を科学的に究明し、一般教育や発達科学に役立てるという明確な理念のもとで双生児研究が組み込まれました。

  • 独自のコホート体制: 一般の教育課程を履修する中等教育機関でありながら、多数の双生児(多胎児)が生徒として入学し、6年間の中高一貫生活を通じて継続的な縦断調査・研究に参加するという、世界的にも極めて稀有な教育・研究フィールドを形成しています。

2. 行動遺伝学・認知発達における重要な科学的知見

  • 知能・学力の加齢変化(ウィルソン効果の実証):

    長期にわたる共分散構造分析などを用いた研究により、中学期には家庭環境など(共有環境)の影響も一定あったものが、高校期(思春期以降)にかけては遺伝要因の寄与率が漸進的に高まり、共有環境の影響が減衰・消失していくという発達動態(欧米の知見であるウィルソン効果など)が、均一なカリキュラムの下で実証されてきました。

  • 脳機能と神経可塑性の可視化:

    大学院総合文化研究科等との連携により、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いた外国語学習(第2言語習得)の介入実験を実施。遺伝的背景が近い双生児ペアの脳活動(ブローカ野など)の同期や可塑的変化を捉え、「生物学的制約と教育的介入の相互作用」を個体レベルで世界に先駆けて可視化しました。

  • 行動特性・身体発育の分析:

    乳幼児期の運動発達マイルストーンや、指しゃぶり・爪かみといった「口腔習癖」の発生における遺伝的寄与率の定量化、さらには出生時の体重不均衡がその後の学校生活や学業成績におよぼす影響(キャッチアップ現象)の追跡など、医学・小児保健学・教育心理学にまたがる多角的なエビデンスを蓄積しています。

3. 教育実践と臨床・支援への還元(科学的根拠に基づく個の尊重)

  • 「遺伝決定論」でも「環境決定論」でもない視点:

    双生児研究から得られた知見は、人間の発達や学力、行動の多様性において遺伝的素因と環境(学校・家庭・経験)の双方が複雑に絡み合っていることを示しています。

  • 画一的指導の克服と個別最適化:

    「遺伝的に同じ(あるいは近い)一卵性双生児であっても、学校での異なる経験やクラス編成、個別の環境(非共有環境)によってそれぞれ異なる個性やアイデンティティを確立する」という事実が示されたことで、学校現場においては「双子をむやみに比較せず、一人の独立した個として見つめ、支援する」という実践的な指導観の確立につながっています。

このように、東京大学の教育系部局と附属中等教育学校における遺伝研究は、単なる基礎科学としてのデータ収集にとどまらず、「人間の育ちと教育のあり方を科学的に解明し、現場の指導や支援へ還元する(Evidence-based Educationの先駆け)」という点で、極めて高い学術的・実践的意義を持っています。 

 

 

万々一、21世紀の日本で、藤原氏と同様の事例が起こりうるとして、では、それによって既得権益を失うもの、及びその一族はといえば、

それはショーダミチコとその一族、

加えてヲワダマサコとその一族じゃないのか、

そのように俺は思ってんですけどね。

 

人工知能氏の複数に、次のような問いを立ててみたので、お時間ありましたらどうぞ。

藤原氏は皇后や中宮を独占的に入内させていた時期がありましたが、それによって皇后や中宮から排除されたのは、皇族女性、皇女や内親王、女王でしょうか。

 

俺個人はそんなことあんのかよ、とは思ってますが、

 

仮にA氏一族が、藤原氏とりわけ(野田佳彦氏が声高に喧伝する)藤原道長と同じことをするとしたら、それが意味するのは、

 

① 皇族女性(内親王や女王)が皇后を独占

② 藤原氏一族が皇后/中宮を独占

 

ということになるはず(人工知能氏の回答参照)で、

 

この②藤原氏一族が、A氏一族にすり替わると(野田氏、御厨氏は)言っているらしいのだが、まぁ、そんなことあんのかよ、と俺は思いますけどね。

 

ただ、

それによって既得権益を失う ① に位置するのは、21世紀の現在においては誰なのか、その一族はどこなのか、といえば、

 

俺が思うに、

 

それはショーダミチコとその一族、

加えてヲワダマサコとその一族じゃないのか、

そのように俺は思ってんですけどね。

 

本来は、権威ではあっても権力であることは許されず、政治権力の行使として文字通りの憲法違反のはずなんですが、、、

 

 

 

件のICC、国際刑事裁判所についても、あの国賊にして逆賊のヲワダヒサシの利権が絡んでいるとかいないとか。だったら、日本の国家国民のためになるわけねーやな、と。

メディアやら何やら、いったい誰に、何に忖度してやがるんだ?

ヲワダヒサシごときに忖度してんじゃねーよ!

くらいにしか思いませんけどね。俺は。

小和田恒(おわだ ひさし)氏は、国際刑事裁判所(ICC)の設立条約である「ローマ規程」の採択(1998年)において、日本政府代表(全権大使)として深く関わった人物です。 [1, 2]
ローマ規程と小和田氏の主な関わりと経緯は以下の通りです。
1. ローマ会議への参加と規程採択への尽力
1998年7月、イタリアのローマで国際刑事裁判所(ICC)を設立するための全権外交会議(ローマ会議)が開催されました。当時、国連大使を務めていた小和田恒氏は日本政府代表団を率いて参加し、条約(ローマ規程)の起草や交渉をリードしました。最終的に日本は同規程の採択を支持し、国際的な刑事司法制度の構築に向けて積極的な役割を果たしました。 

 

 

 

岡部喜代子まで持ち出してきたので、ついでに昔の書き込みを貼付しておきましょ。

 

2021年5月11日付け

やはりというべきか、ショーダミチコ枠と揶揄される岡部喜代子が出てきたのな。
まぁ、そのための仕込みなのだろう。

同じくショーダミチコ枠とされる、あの 園部逸夫(皇統簒奪の”僭称天皇”と外国人地方参政権で有名)の経歴を並べてみる。


岡部喜代子
裁判官経験: 1976年(昭和51年)~ 1993年(平成5年)
退官時は東京家庭裁判所判事。
大学教員を経て、 2010年(平成22年) 最高裁判事就任。


園部逸夫
裁判官経験: 1970年(昭和45年)~ 1985年(昭和60年)
退官時は東京地方裁判所部総括判事。
大学教員を経て、 1989年(平成元年) 最高裁判事就任 。
( しかも司法試験および司法修習を経ずに任官した数少ない裁判官の一人だそうな)


他にもっとマシな人選もできただろうに。

わざわざ最悪の選択肢としてのヲワダマサコを選び、キムkこと小室某を反対する両親の頭越しに裁可したショーダミチコらしいと言えばらしいわな。全ての悪事はショーダミチコに通ず。とっとと裁可を取り消しゃいいものを。

ショーダミチコとヲワダマサコの周りは、およそあらゆる意味でのロンダリングばかり。 

 

日本学術会議で副会長枠3人中、実に2人までもがフェミで占められていたころに、

【フェミにあらずんば、研究者にあらずかよ】みたいなことを書き込んだもんですけどね。一度ならず。

 

つながってんだか、つながってないのか、わたしゃよく分かりませんけど。

 

 

 

藤原氏は皇后や中宮を独占的に入内させていた時期がありましたが、それによって皇后や中宮から排除されたのは、皇族女性、皇女や内親王、女王でしょうか。

 

藤原氏が娘を皇后や中宮として独占的に入内(立后)させたことにより、それまでその地位を占めていた皇族女性(内親王や女王)が事実上排除されることになりました。
日本の律令(大宝律令・養老律令)の規定では、皇后は皇族(内親王・女王)出身者に限られていました。しかし、この原則を破り、臣下(藤原氏)の女性として初めて皇后(光明皇后)が立ったことで、のちの藤原氏による后位の独占へとつながっていきます。
排除の歴史的背景と変化
藤原氏による后位の独占は、段階を経て進みました。
光明皇后の立后(臣下初の皇后)
729年、藤原不比等の娘である光明子(光明皇后)が聖武天皇の皇后となりました。これ以降、皇族女性だけでなく藤原氏の女性も后に立てる道が開かれます。
皇族女性との共存期(平安初期〜中期)
平安時代初期から中期にかけては、まだ皇族出身の后(后位をもつ内親王など)と、藤原氏出身の后が並立、あるいは交代で立つ時期が続いていました。
藤原氏による独占の完成(摂関政治の最盛期)
藤原道長藤原頼通の時代(10世紀末〜11世紀)になると、天皇の后(中宮・皇后)はほぼ藤原摂関家の娘で占められるようになります。これにより、本来第一候補であったはずの内親王や女王(天皇の姉妹や皇女)は后に選ばれにくく(排除)なりました
    排除された皇族女性たちのその後
    后(天皇の正妻)になれなくなった内親王や女王たちは、以下のような道を歩むことが多くなりました。
    生涯独身で過ごす:后になれず、また臣下に降嫁(結婚)することも格式の違いから難しかったため、未婚のまま生涯を終える皇女が急増しました。
    斎宮・斎院への就任:伊勢神宮に仕える「斎宮」や、賀茂神社に仕える「斎院」として神に奉仕する役割を担いました。
    出家して尼になる:政争に巻き込まれるのを避けるため、あるいは経済的な自立(父親である上皇の遺領などを相続するため)のために出家するケースが増えました。
      このように、藤原氏の権力拡大(摂関政治)の裏で、本来は后位を約束されていた皇族女性たちは、結婚の機会や政治的地位を奪われる結果となりました。 

       

      はい、その理解で概ね正しいです。
      平安時代、特に摂関政治期(10世紀後半〜11世紀)に藤原北家(とりわけ御堂流)が娘たちを天皇の后に立て、皇后・中宮の地位を事実上独占した時期がありました。これにより、皇后・中宮の座から実質的に排除・制限されたのは、主に**皇族出身の女性(皇女・内親王・女王)**でした。背景と仕組み
      • 奈良時代以前〜平安初期までは、皇后(妃)は原則として皇族女性(内親王など)から選ばれるのが通例でした。令制でも妃は皇女に限る規定があり、皇后もそれに準じていました。
      • しかし藤原氏(不比等の娘・光明子の立后を嚆矢として)が人臣から皇后を出す先例を開き、摂関政治期には娘を積極的に入内・立后させる外戚政策を徹底。道長の時代には「一家三后」(彰子・妍子・威子)のように藤原一門で三后を占める事態すら起きています。
      • この結果、後宮の最高位(皇后・中宮)は藤原氏の娘でほぼ埋められ、他氏(源氏など)の女性はもちろん、有力な内親王・女王の入内や立后も大幅に制限されました。学術研究でも「藤原氏の外戚政策の最大の特徴は、同時に有力な内親王や王女が入内していない点にある」と指摘されています。
      例外と実際の状況完全にゼロではありません。冷泉天皇の昌子内親王(朱雀天皇皇女)のように内親王が皇后となった例や、後冷泉天皇の章子内親王(後一条天皇皇女)のように中宮となった例は存在します。ただしこれらは、
      • 生母が藤原氏である、
      • 藤原氏の後見・養育を受けている、 といったケースが大半で、純粋に皇族側の意向だけで独立して立后される例は極めて少なくなりました。
      また、入内自体はあっても立后に至らない内親王もおり、「藤原氏の后が立てられたために皇后になれなかった内親王」の事例も確認されています。要するに、藤原氏の独占は「他氏排斥」だけでなく、皇族女性を后位から遠ざける効果を強く持っていたのです。これにより藤原氏は外戚としての地位を安定させ、摂政・関白をほぼ世襲する体制を固めました。院政期以降は状況がやや変化しますが、質問の「独占的に入内させていた時期」においては、まさに皇族女性が主な「排除対象」だったと言えます。

        

       

      はい、基本的にはその理解でよいです。ただし「藤原氏の入内独占によって排除されたのが誰か」という問題は、時期によって少し事情が異なります。

      平安中期、とくに藤原北家が摂関政治を確立した10世紀後半から11世紀にかけて、藤原氏は自家の娘を天皇の后(皇后・中宮)に立て、その間に生まれた皇子を皇位につけることで権力を維持しました。

      その結果、皇后や中宮の地位から相対的に押し出されたのは、まず第一に皇族女性です。

      具体的には、

      • 内親王(天皇の娘)
      • 女王(皇族女子のうち内親王より遠い系統)

      などが后妃になる例が減少しました。

      奈良時代から平安初期には、たとえば

      • 井上内親王(光仁天皇皇后)
      • 朝原内親王(仁明天皇女御)
      • 高志内親王(朱雀天皇中宮)

      など、皇族女性が后妃となる例がありました。

      しかし摂関政治の時代になると、

      • 藤原穏子(村上天皇の女御)
      • 藤原安子(村上天皇中宮)
      • 藤原詮子(円融天皇女御)
      • 藤原定子(一条天皇中宮)
      • 藤原彰子(一条天皇中宮)

      のように、藤原氏の娘が主要な后位を占めるようになります。

      ただし、「皇族女性が完全に排除された」とまでは言えません。

      たとえば一条天皇の時代には、

      • 藤原定子(中宮)
      • 藤原彰子(中宮)
      • 脩子内親王
      • 敦康親王の母である定子の系統

      など複雑な人事が行われており、皇族女性も后妃や准后など何らかの形で宮廷に影響力を持つことはありました。

      また重要なのは、藤原氏が排除したのは「皇族女性」だけではないという点です。

      天皇の后になる資格を持つ有力氏族は本来、

      • 源氏
      • 橘氏
      • 紀氏
      • 清原氏

      なども考えられましたが、実際には藤原氏以外の臣下の娘が中宮・皇后になる例は極めて少なくなりました。つまり藤原氏は「皇族女性」と「他氏族の女子」の双方を后位から締め出し、結果として后妃市場をほぼ独占したのです。

      要するに、藤原氏の后妃独占によって最も大きな影響を受けたのは内親王・女王などの皇族女性ですが、実際には他の貴族氏族の女子も同時に排除され、后妃の地位がほぼ藤原氏の娘たちに集中した、というのが実態です。