艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

ショーダミチコとキンヂョーに聴かせてやりたいわな


200年程度で下記の通りなんだから、500年以上も空位でほとんど化石と化していた「皇后」なんてねぇ。
皇太子を空位にするくらいなら、明治以降にようやく発掘された「皇后」の方を空位にすりゃいいだろうに。
神道、神仏混交は当然として)キリスト教からも掛け離れた個人崇拝の
ミチコあてくし教」というのがありまして。
当人は自分こそが信仰の対象だと思い込んでいるらしい。
皇祖皇宗よりも自分あるいは自分たちの方が”お偉い”と思い込んでいるんだから、そりゃ国賊•大逆賊と言われるわな。神道•神仏混交の側面のみに限定しても。でなきゃ、皇統簒奪、皇統廃絶の「ご意向圧力(憲法違反)」がオモテに出てくるわけがない。
それもメディア総動員の情報統制、報道弾圧付きで。


Wiki隠れキリシタン 
2.1 カトリックに戻らない理由 より

カトリックに戻らない理由
カクレキリシタンが未だカトリックに復帰しない理由については、さまざまな要因が考えられているが、主なものとしては、

①先祖からの伝統形態を守り続けることが正しいとする考え方。

②仏教、神道を隠れ蓑として来たが、長い年月のうちに精神と生活に定着し、神仏を祀るのに矛盾を感じなくなり、カトリックへ復活することによって神仏や先祖の位牌を捨てることへの抵抗感。

③先祖から受け継いだ習慣を放棄すると、罰を受けるのではないかという恐れ。


などが挙げられている[12]。カムフラージュであったはずの仏教や神道の信仰が強くなってキリスト教の信仰理解が失われてしまい、カクレキリシタンにとって大切なのは、先祖が伝えてきたキリスト教起源の祈りや行事を、本来のキリスト教の意味は理解できなくなってしまっても、それを絶やすことなく継承していくことであって、それが先祖に対する子孫としての務めと考えられている[13]。

また、明治初期のカトリック教会による宣教の際には、前述の浦上四番崩れなど直前にあった激しい迫害や差別を恐れたり、当時のカトリックの教義が厳格であったため容易に戻って行けなかったこと[※ 6][※ 7]なども、理由として考えられている。



2 カクレキリシタン より (順序入れ替え)

カクレキリシタンの研究者である宮崎賢太郎(長崎純心大学教授)は、次のように定義している。

カクレキリシタン」とは、キリシタン時代にキリスト教に改宗した者の子孫であり、1873年に禁教令が解かれて信仰の自由が認められた後もカトリックとは一線を画し、潜伏時代より伝承されてきた信仰形態を組織下にあって維持し続けている人々を指す。
オラショ儀礼などに多分にキリシタン的要素を留めているが、長年月にわたる指導者不在のもと、日本の民俗信仰と深く結びつき、重層信仰、祖先崇拝、現世利益、儀礼主義的傾向を強く示すものである。
― 宮崎賢太郎、『カクレキリシタン』 21頁、ISBN 4931493408


カクレキリシタン
江戸時代潜伏していたキリシタンたちは、200年以上もの間司祭などの指導を受けることなく自分たちだけで信仰を伝えていったため、長い年月の中でキリスト教の教義などの信仰理解が失われていき、仏教や神道、民俗信仰などとも結びついたり、あるいは地元の殉教者に対する尊崇を精神的な拠り所としつつ、キリシタン信仰当時の聖具からなる御神体や、殉教者が没した聖地などを主要な信仰対象とするもの[3]に変化していった。

このため、明治時代以降にキリスト教の信仰が解禁されて再びカトリックの宣教がなされても、地域によっては半数以上のキリシタンは改宗に応じなかった[4][※ 2]。

その後も独自の信仰様式を継承している人たちが、長崎県の一部地域に現在でも存在する。
現地では「古ギリシタン」「旧キリシタン」「元帳」などと呼んでいるが[5]、学術的には、これを「カクレキリシタン」(全て片仮名表記[※ 3])と呼ぶ[※ 4]。




カクレキリシタンの実像: 日本人のキリスト教理解と受容 宮崎賢太郎 2014/1/21

内容紹介
隠れてもいなければ、キリスト教徒でもなかった! オラショ(祈り)や諸行事に接し、日本民衆のキリスト教受容の実像に迫る。

内容(「BOOK」データベースより)
カクレキリシタンは隠れてもいなければキリスト教徒でもなかった!仏教の仏も、神道の神も、キリシタンの神々も三位一体の如く拝み続けた人びとの信仰に迫る。


潜伏キリシタンは何を信じていたのか 宮崎賢太郎 2018/2/22

内容紹介
ゼ十ス様、丸や様とはだれか? 通説を覆すおどろきの信仰世界が明らかに
230年の長きにわたり、信仰を守った潜伏キリシタン。2018年6月には世界遺産登録も予定されている。しかし本当に彼らはキリシタンを唯一の宗教としていたのだろうか。潜伏キリシタンの驚きの姿を明らかにする

内容(「BOOK」データベースより)
江戸初期から明治国家誕生まで、命がけで信仰を守り通したとされる潜伏キリシタン。だが、宣教師たちのたどたどしい日本語でキリスト教の三位一体の意味を理解できたのだろうか。まして、禁教時代は一人の宣教師もいなかったのだ。著者は、かねてからこの点に疑問を抱いてきた。そして、今なお長崎県下で信仰を伝えるカクレキリシタンたちの調査研究から、彼らが信じてきたものはキリスト教ではないことを突き止める。キリシタン=「夢とロマン」の幻想に一石を投じる書。


カクレキリシタン 現代に生きる民俗信仰 宮崎賢太郎 2018/2/24

内容紹介
長崎に今も、カクレキリシタンがいるのを知っていますか?
信仰の自由が認められている現代、長崎県下には今なお、潜伏時代の信仰を守る人々、カクレキリシタンがいる。
だが、彼らは隠れてもいなければキリシタンでもない。
その信仰世界は、キリスト教徒大きく異なり、神や儀礼、唱文などは、日本の伝統的な先祖崇拝や生活と融合し、独自の民俗宗教へと変貌していた。
秘蔵の像や行事の様子など、貴重な写真を多数掲載。
圧巻のフィールドワークで、知られざる「独自宗教」を活写する。

内容(「BOOK」データベースより)
信仰の自由が認められている現代、長崎県下には今なお、潜伏時代の信仰を守る人々、カクレキリシタンがいる。だが、彼らは隠れてもいなければ、キリシタンでもない。その信仰世界は、キリスト教と大きく異なり、神や儀礼、唱文などは、日本の伝統的な先祖崇拝や生活と融合し、独自の民俗宗教へと変貌していた―。秘蔵の像や行事の様子など貴重な写真を多数掲載。圧巻のフィールドワークで、知られざる「独自宗教」を活写する。