艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

端午の節句です。旗日です。


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こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する

ということらしい。

制定当時(昭和23年(1948年)7月20日公布即日施行)の空気はこんな感じ
(盛ってそうにみえなくもないが)

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憲法は昭和二十一年十一月三日に公布された。 この公布の日については二十一年十月二十九日[2]の閣議でいろいろ論議があつた。公布の日は結局施行の日を確定することになるが、一体何日から新憲法を施行することがよかろうかというので、大体五月一日とすれば十一月一日に公布することになる。併し五月一日はメーデーであつて、新憲法施行をこの日にえらぶことは実際上面白くない。では五月五日はどうか。これは節句の日で、日本人には覚えやすい日であるが、これは男子の節句で女子の節句でないということ、男女平等の新憲法としてはどうか。それとたんごの節句は武のまつりのいみがあるので戦争放棄の新憲法としてはどうであろうか。それでは五月三日ということにして、公布を十一月三日にしたらどうか、公布を十一月三日にするということは、閣議でも吉田総理、幣原国務相、木村法相、一松逓相等は賛成のようであつたが、明治節に公布するということ自体、司令部の思惑はどうかという一抹の不安もないでもなかつた。併し、結局施行日が五月一日も五月五日も適当でないということになれば、五月三日として、公布は自然十一月三日となるということで、ゆく方針がきめられた。公布の上諭文は十月二十九日の閣議で決定、十月三十一日のひるに吉田総理より上奏御裁可を得た。― 入江俊郎『日本国憲法成立の経緯原稿5』、入江俊郎文書


地域限定の祝(祭)日も含め、学校の試験に出しゃいいと思うが、最近は
やってんのかな。全国学力なんたらとか。