艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

ショーダミチコとキンヂョーに都合のいいものしか出てこねーのな

また共同通信だっけ?
映像では付箋紙で隠しまくっていたようだが、どれくらい黒塗りにされるのやら。

高松宮殿下の薨去
1987年(昭和62年)2月3日。

いわゆる ”戦争責任” を言っていたのは、煽っていたのは、
(今現在の)平成のキンヂョー家、
すなわちショーダミチコと、ショーダアキヒトだと思っている。
でなきゃ靖国にも行かず、
公式の場で戦犯だの(A級戦犯だの)言及するわけがねーやな。


よく言われることだが、長崎市長銃撃は(
なぜか)平成に入ってから。
昭和帝ご存命の昭和期ではなく。

なんたって血塗られたショーダミチコのことだからねぇ。
情報操作、報道弾圧でおさまるわけがないわけで。

クラウゼヴィッツによる ”戦争責任論” の著作でもあったら読んでみたいかも。


以下、気になったものをいくつかコピペ。


ヴィルヘルム2世は一般に第一次世界大戦の元凶とされている。
しかしそれは多分に連合国(戦勝国)史観であり、注意を要する。
第一次世界大戦の客観的な研究が進み、ヴィルヘルム2世の仕業とされてきたことが実はそうでなかったことが判明しつつある。
その最たるものはかつて開戦原因とされてきた1914年にヴィルヘルム2世が開いたというポツダム御前会議なるものが実は不存在だったこと、またフランスとの緊張を高めた1905年のヴィルヘルム2世のタンジールの訪問も実はヴィルヘルム2世自身はモロッコ問題不干渉の立場だったことなどである。
フリッツ・フィッシャーの研究をめぐる論争以降、ヴィルヘルム2世だけではなく国家指導層が全体で世界大戦へ向かっていったことが歴史学の共通認識になりつつあり、そのため現在ではヴィルヘルム2世一人だけに世界大戦の責任を負わせる議論は過去の物となっている[141]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A02%E4%B8%96_(%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E7%9A%87%E5%B8%9D)#%E8%A9%95%E4%BE%A1




1990年に妊娠中絶法案が議会を通過した際、議会はボードゥアン1世に法案への署名を求めたが、ボードゥアン1世は敬虔なカトリック教徒であり、また王妃ファビオラとの間に子供が授からなかったことから法案への署名を拒否していた。
しかし署名を拒否すれば立憲君主制の原則を揺るがすことになるため、内閣はボードゥアンと協議を行った。
その結果、ボードゥアンを一時的に「統治不能」状態とし、その間に内閣が代理で法案に署名することとした。
ボードゥアン1世は1990年4月3日から、法案成立後の4月5日まで統治不能状態に置かれていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%B31%E4%B8%96_(%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E7%8E%8B)



後段、ショーダミチコとキンヂョーが、
あるいはヲワダマサコとヲワダナルヒトが、
この国の立憲君主制を標的として、さらなる侵略を行おうとした際には、
なんらかの参考になるかもしれない。
(ならんかもしれんが)

あの国賊、大逆賊どものことだから、
支那には確実に、下鮮もかなり確率で、下手したらあの北鮮にまで大量に突っ込んでやがるかもしれん。

その結果が、平成の失われた数十年(あるいは核やミサイル)と思えば。
流された科学と技術、金融・経済、人材や人心、モラル、その他諸々、、、

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追記

立憲君主制をぶち壊し、
天皇主権説(輔弼/帷幄上奏を要件とせず)を当然と考える
ショーダミチコとキンヂョーが、

立憲君主制を護持し、
天皇機関説(輔弼/帷幄上奏を不可欠とする)に賛意を示した
昭和帝を排撃する構図。


輔弼/帷幄上奏は適宜読み替えてくだされ。
(軍令による軍政への侵略、軍令/軍政による行政への侵略は、また別の話として)

ショーダミチコとキンヂョーが
(自分たちに都合のいい極めて恣意的な)天皇主権説をとっているのは、
件の廃位騒動(憲法違反のいわゆる退位騒動)で、
アレらの情報操作・報道弾圧を通じ、アレラ自身が大量にバラまいたおかげで。