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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

神宮備林 (wikiより)


神宮備林(じんぐうびりん)とは、かつて、帝室林野局(現宮内庁林野庁)が、伊勢神宮式年遷宮用のヒノキを確保、育成を目的とした林、および指定された地域である。現在の長野県木曽郡岐阜県中津川市の阿寺山地にある。

伊勢神宮の神宮林の備え(予備)という事から名づけられたという。

現在は神宮備林という名ではなく、国有林の一部の扱いである。しかし、旧神宮備林、神宮備林、旧御料林、御料林などの名称で呼ばれている。


概況
長野県木曽郡上松町王滝村大桑村、と岐阜県中津川市の加子母・付知町などにまたがり、約8,000haの広さがある。

現在は国有林の一部であり、林野庁中部森林管理局が管理、運営している。ここのヒノキは慣例により、式年遷宮用に優先的にまわされる。

継続的に用材が供給できるように、樹齢200年から300年の用材の安定提供が可能なように計画的に植林された。神宮備林でなくなった現在も、その手法で運営されている。

神宮備林の由来

伊勢神宮で20年毎に行なわれる式年遷宮は、大量のヒノキが必要である。その用材を伐りだす山(御杣山・みそまやま)は、第34回式年遷宮までは、3回ほど周辺地域に移動したことはあるものの、すべて神路山、高倉山という内宮・外宮背後の山(神宮林)であった。

・しかし、1回の遷宮で使用されるヒノキは1万本以上になり、神宮林のヒノキでは不足しだす。その為、内宮用材は第35回式年遷宮から三河国に、外宮用材は第36回式年遷宮から美濃国に移り、第41回式年遷宮から第46回式年遷宮までは、伊勢国大杉谷に移る。

・しかしながら、原木の枯渇による伐り出しの困難さから、1709年(宝永6年)の第47回式年遷宮から、尾張藩の領地である木曽谷、裏木曽に御杣山は移動する。この地域は尾張藩により木材(木曽五木)が保護され、許可の無い伐採が禁じられていた。

・正式に指定、伐採が始まったのは、1798年(寛政10年)からである。

・現在でも式年遷宮用の用材は、この旧神宮備林から調達されている。