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怒ったゼウスは、権力の神クラトスと暴力の神ビアーに命じてプロメーテウスをカウカーソス山の山頂に張り付けにさせ、生きながらにして毎日肝臓を鷲についばまれる責め苦を強いた。
プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで拷問が行われていた。その刑期は三万年だった。
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怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすために‥
(略)
そして、ある日パンドーラーは好奇心に負けて甕を開いてしまう。
すると、そこから様々な災い(エリスやニュクスの子供たち、疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などなど)が飛び出した。
しかし、「ἐλπίς」(エルピス)のみは縁の下に残って出て行かず、パンドーラーはその甕を閉めてしまった。
こうして世界には災厄が満ち人々は苦しむことになった。ヘーシオドスは、「かくてゼウスの御心からは逃れがたし」という難解な言葉をもってこの話を締めくくる。
(略)
バブリウス『寓話』は、これとは違った物語を説く。パンドーラーは神々からの祝福が詰まった箱を与えられる。
しかしエピメーテウスがこの箱を開けてしまう。
祝福は飛び去ってしまったが、ただエルピスだけは残って「逃げてしまった良きものを我々に約束した」という。
(略)の部分は長すぎる上に、俺からみてもちょっと書きたくない内容なので。
え~、よくいわれる話です。
どちらも本来はプラスの意味のはずなんですけどね。
(後者は5:1くらいで少数ながら絶望の用例もあるとか)
ミンス・ミンチンとショーダミチコ・キンヂョーにとっての希望だとすれば、
日本と日本人にとっては間違いなく絶望ということですわな。