新国立競技場と同じレベルの対応で、集団的自衛権を行使されたら、
日本がいくつあっても、満州がいくつあっても足りない、という認識に、
主権者たる日本国民はたどり着いたのかもしれないねぇ。
(満州国暴走の頃には、集団的自衛権は出現してなかったけれど)
始めたのがどこの政党か、議連か、秘密結社なのかは知らないが、
今現在、ストップもかけなきゃ、ブレーキもかけないのが、集団的自衛権を行使したがってる現政権なのは紛れもない事実なわけで。
(集団的自衛権の行使 = 文字通りの戦争への突入)
1954年に第三回アジア競技大会の実施が東京で行われることが決まると、外苑競技場を取り壊して新たに国立競技場を建設することが決定。
1957年1月から4月にかけて明治神宮外苑競技場は取り壊され、その輝かしい歴史に幕を下ろした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%A4%96%E8%8B%91%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A0%B4#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
接収解除後は再び一般に開放されていたが、
1958年アジア競技大会と国民体育大会の会場とすることが決まり、
1956年(昭和31年)に明治神宮から文部省に譲渡され、現在も残る新設の競技場が整備された。
競技場は1957年1月に起工し、アジア大会前の1958年3月に竣工した。
フィールドは国産アンツーカが利用された。
同年アジア大会を開催し、翌1959年には東京国体のメインスタジアムとして陸上競技が開催された。
その後1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックのメインスタジアムとして使用されることとなり、これにあわせてスタンドの増築が行われた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E9%9C%9E%E3%83%B6%E4%B8%98%E9%99%B8%E4%B8%8A%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A0%B4#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E5.A4.A7.E4.BC.9A.E3.83.BB.E3.82.A4.E3.83.99.E3.83.B3.E3.83.88
1957年1月起工、1958年3月竣工
(解体は1957年1月~4月)
だとさ。