読売新聞の下記の図に、(先端技術以外も含めた)平成のキンヂョー家からの様々な流出も書き加えたいもんだわな。
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ヲワダ家一党、長野・奥志賀の定宿、支那人乗っ取りホテルで血税豪遊
2019年03月25日15時49分 時事通信
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032500748&g=soc
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以下、ヲワダ家一党が毎年この時期に血税で豪遊する定宿、支那人乗っ取りホテルの沿革を引用(時系列は逆、降順、新→古)
スキームはよくわからんが、始めから計画的に”産業再生機構”の資金(日本人の血税か?)を投下した上で、自分たちの定宿を支那人に乗っ取らせたんじゃないのかと思ってしまうわな。
(新潟県新発田市は国賊ヲワダヒサシの出生地なんだけど‥。
追記:かの有名な外務省層化閥の名前を書き忘れてた。大鳳会な。)
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沿革:ホテルグランフェニックス奥志賀
https://www.phenix.co.jp/about/story/
2008(平成20年)5月1日
陳義紅が会長に、孫建軍が社長に就任。
中国動向グループ(香港証券市場に上場)より
2008(平成20年)4月25日
中国動向(集団)有限公司に株式譲渡契約締結
中国動向(集団)有限公司の傘下に
出資比率は中国動向91%、オリックス9%
2005年12月27日
産業再生機構による支援が終了。
2004(平成16年)12月1日
オリックス全額出資子会社を受皿とし会社分割により新生フェニックスがスタート
オリックス株式会社投資銀行本部より木村司が社長に、佐藤欣一は取締役に就任
2004年8月30日、
産業再生機構の支援を得ることを発表
オリックスをスポンサーとして
2004(平成16年)
資本金4.95億円に増資
1995(平成7年)
合弁会社「上海菲尼克斯制衣有限公司」を設立。中国上海に2社目
1994(平成6年)
ホテルグランフェニックス奥志賀オープン
合弁会社「上海鳳達服装有限公司」を設立。中国上海に
1993(平成5年)
昭和帝もしくは当時の宮内庁の反対で排除されたはずのヲワダマサコが平成のキンヂョー家にもぐりこみ
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1983(昭和58年)
新潟県新発田市にテクニカルリサーチ設立。売上高100億円突破
1972(昭和47年)
田島和彦、代表取締役社長に就任。フェニックス商品研究室設置
1971(昭和46年)
新潟県新発田市に、(株)フェニックス・ソーイング設立
1967(昭和42年)
社名を(株)鳳商会から(株)フェニックスに変更。問屋業からメーカーに業種変換
1952(昭和27年)
田島一男、(株)鳳商会設立
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