艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

5月1日、水俣病公式確認の日

「熊本もしくは水俣園遊会をすればいいのに」と思う日本国民はどれくらいいるんでしょうか。

 

昭和31年(1956年)5月1日、水俣病公式確認の日

 昭和31年(1956年)4月21日に原因不明の激しい脳症状を訴える5才の女児が新日本窒素肥料(株)(注:現JNC(株))水俣工場附属病院を受診し、同月23日に入院しました。同年5月1日同工場附属病院長が水俣保健所に脳症状を呈する患者の発生を報告し、この日が「水俣病公式確認の日」とされています。

 

神をも畏れぬとはこのことか。

昭和帝と良子皇后の御代には想像だにできぬこと。

(今は熊本、水俣がタゲられているが(阿賀野川流域もそうだろうか)、これが他の地、他の民に照準を移されたらどうなるか、いったい何時(いつ)他の地、他の民に照準が移されることか。

昭和帝と良子皇后の御代に、昭和帝と良子皇后の宮廷に回帰して欲しいもんだ。

国民に、国家国民に、神道に、皇統に、刃を向けるなど信じられん。)

 

 

 

 

日本赤十字が熊本がらみというのは割と多くの人が知っていそうではあるが、5月1日が創立記念日というのはどうなんでしょうね。

内部の人は当然に知っていそうではあるが、すいません、俺は知りませんでした。

神道弾圧、皇統簒奪の国賊、大逆賊、ショーダミチコとヲワダマサコは内部中の内部というべきなんだろうが、はてさて、アレラの娘、孫娘は?

 

熊本は赤十字の創業の地なり

後に佐野は博愛社設立の命令が下された 5 月 1 日を、日赤の創立記念日と定めた

 

1. 熊本は赤十字の創業の地なり 

熊本は赤十字の創業の地なり」。これは日本赤十字社の創業者のひとりで、初代社長の佐野常民の言葉である。つまり、日本赤十字社の前身である救護団体「博愛社」は、1877年(明治 10 年)、国内最大で最後の内戦である西南戦争の最中に、ここ熊本で誕生したのであった。 

 

7.元老院議官・佐野常民、征討総督本営で博愛社設立の直裁を仰ぐ

佐野常民は、明治 10 年 4 月 25 日に神戸を出発すると 4 月 29 日佐賀に立ち寄り、政府軍が薩摩軍を人吉方面に追撃しようとする 5 月 1 日、熊本城内の征討総督本営が置かれた熊本洋学校教師館ジェーンズ邸を訪れた。佐野常民が本営を訪れた目的は、博愛社設立の許可を得るためである。『日本赤十字社社史稿』第 1 巻には次のように記載されている。「各地ノ賊軍ヲ追撃セントスル五月一日ナリ 佐野議官ハ即時願書ヲ懐(ふところ)ニシテ本営ニ抵リ参軍山縣有朋及高級参謀小澤武雄ニ就(つけ)テ結社ノ目的ヲ陳シ其可否ヲ質ス参軍等深ク之ヲ賛ス 則チ齎(もたら)ス所ノ願書ヲ有栖川總督宮殿下ニ上リ 博愛社創立ノ許可ヲ請ヒシニ 殿下大ニ嘉納シ給ヒ即日允許ノ台命ヲ下サレタリ」とある。『博愛社報告』第一号には、「五月一日熊本ニ到着シ本務ノ餘直ニ征討総督本至テ齎ラスト所ノ願書及社則五條ヲ具シテ申請シ則五月三日允許ヲ得タリ」とある。


つまり、日本赤十字社の史料からは、5 月 1 日に本営で参軍・山縣有朋と高級参謀・小澤武雄に請願書を渡し相談。二人はこれに深く賛同し、有栖川宮熾仁親王殿下に許可を請うたところ、殿下も大いに喜ばれ、その日のうちに殿下から博愛社設立の命令が下された。そして、5 月 3 日に博愛社設立の許可を得たと読み取れる。後に佐野は博愛社設立の命令が下された 5 月 1 日を、日赤の創立記念日と定めた。 

 

https://www.jrc.or.jp/chapter/kumamoto/apeal/pdf/20220707-90736302088efccd5efba40b66115bd86b801eaf.pdf