水俣病啓発の日
公式確認から65年。
1956年:5歳11か月の女児がチッソ水俣工場付属病院小児科に入院。
5月1日に水俣保健所が「原因不明の奇病発生」として水俣病を公表。
後に水俣病の「公式確認」となる。
この年、50人が発病し11人が死亡。
1964年(昭和39年)12月、江頭豊、チッソ取締役社長に就任。
1971年(昭和46年)7月、チッソ社長を退任し、会長に就任。
1973年(昭和48年)5月、チッソ会長を退任し、相談役に就任。
原因となったアセトアルデヒドの製造を中止したのは 1968年。