日付は2018年03月26日、一部のみ抜粋。
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フォント違いすらも指摘された財務省時代
財務官僚として働き始めてすぐに、「公文書」の重さというのは、身に染みて学ばされた。財務省に入省するとまず言われるのは、「呼ばれたらすぐにメモとペンを持って走れ」ということ。指示だろうと、電話だろうと、メモや応接録の形で記録し、上司へと情報伝達する。決済の過程で、上司は、そこに書かれた一言一句をなめるように読み、「てにをは」レベルまで細かく修正する。
「MS明朝の書体の中に、数文字MS P 明朝が混ざっている」という理由で、内容まで読んでもらえずに突き返された経験もある。細部まで神経を尖らせなくてはならないという文書に対する意識は、入省時から体で覚えさせられる。
もっとも、公文書になんでもかんでも書き込んでおく習慣は、なかったように思う。経緯に出てくる政治家の情報は、それが圧力や忖度を喚起させるようなものでなくとも、業務を運営するうえで大事なものではある。だが、これは公文書に残すのではなく、メモなどの形で記録しておくのが常識とされていた。
(検索すればすぐに出ると思うので、リンクは貼らないでおきます)
wikiの経歴によれば、
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2008年 - 財務省を依願退官。
ちなみに、愛媛県のホームページはザッと見、ゴシックで書き込まれているように見えるのだが、俺はあまり詳しくないので‥。