神道弾圧、皇統簒奪のあの国賊、大逆賊は、支那語でも上皇后呼びさせてんのか?
あははのは。
自らがよって立つべき皇祖皇宗や皇統のありがたさ、ありがたみを、自らが否定、ブチ壊し続ける、アレラ罰当たりどものいったいどこをありがたがればいいのか、その根拠からしてさっぱり分からんのだが。
歴史と伝統を知らぬ、歴史と伝統に無知って、本当に恐ろしいやね。
以下、wikiより。一部修正。
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靳 月光(きん げっこう、? - 315年)は、前趙の昭武帝劉聡の皇后→上皇后。
妹に靳月華、および隠帝劉粲の皇后靳氏がいる。
315年、劉聡は中護軍靳準の屋敷へ行き、靳月光と妹の靳月華を左貴嬪、右貴嬪に立てた。同年、皇后に封じられた。後に劉聡は靳月光に上皇后と加号し、貴嬪の劉氏を左皇后に、月華を右皇后に封じた。
同年、靳月光は劉聡以外の人物と姦通を行った。陳元達は靳月光に淫行の行為があったことを上奏した。劉聡は靳月光を特に寵愛していたが、陳元達の勢いに迫られて皇后から廃した。間もなく、靳月光は恥じ入って自殺した。
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