いわゆるトリクルダウン仮説的な悪質さを思い出す。
まずはメガファーマが最優先の第一選択として自己責任を、次いで政府・官邸・厚労省が自己責任を、さらに自治体も自己責任を負うべきだろう。
無限自己責任か有限自己責任かは知らんけど。
(どんな炭塗りが出てくることやら)
自らの自己責任を放棄し、情報弱者、科学的かつ適切な判断能力なき一般国民、あるいは未成年・12歳以下の保護者にまで、責任転嫁するなど言語道断。
それも有限責任どころか過剰責任、無限責任を押し付けてきやがる。
(実際にはメガファーマと 政府・官邸・厚労省(医系技官・薬系技官及びそれら金魚の⬛のイクラどもに、御用(誤用)の忽那某、坂本某辺り)は、完全に一体化して複合体と化してるけどな。メディアやビッグテックとともに。)
自己責任は少なくともこの国においては、弱肉強食でかつ鬼が出るか蛇が出るか、それら前提を当然のこととして受け入れた兜町の経済ヤクザ、株ヤクザに対してのみ、極めて限定的に使うものだったはず。
( 上記の人達は、(ダブスタで自分たちだけは損失補填を大前提とする)ケケナカパソナおよび新自由主義者どもとは、そのままイコールではないかもしれないんで、一緒にしたら、とんでもないお叱りを受けるのかもしれないけど。ホント、ピンハネ大増税、中抜き大増税すりゃいいものを。)
キーワード(下記参照)
・十分な情報と判断能力
・強制されることなき自己判断
・事後監視、事後救済(←人命に直結するというのに)
この毒ワクチン禍においてはそれらの全てが全て、当てはまらんだろう。
報道弾圧、情報統制等々、あえて意図的にそのようにしているとしか、俺には思えんけどな。
やかましいほどにピーピーギャーギャー喧伝(畳)された集団免疫仮説は崩壊し、
感染予防効果も釣書通り、プロパガンダ通りからはほど遠く(どころかステルス感染化、ブースター感染化の指摘も多数)、
重症予防についてもすでに毒ワクチン以外の方法、手段が複数存在する。
妨害されているか、メディア総動員でトンデモなごり押しされてるかの差異はあれど。
とっとと“認可”を取り消して、全商品、全製品を回収し、メガファーマの自己責任、政府・官邸・厚労省それに自治体の自己責任をとれよ、と。
(どんな炭塗りが出てくることやら)
3回目、4回目、5回目、、、。
まるで盗人に何とか、人殺しに何とかじゃねーか。
後世からは、(操られた)集団狂気、集団ヒステリーの事例として扱われんのかねぇ。
以下、wikiより。
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自己責任原則(じこせきにんげんそく)は、金融商品取引において損失を被ったとしても、投資家が自らのリスク判断でその取引を行った限りは、その損失を自ら負担するという原則をいう。投資家の自己責任原則ともいう。英訳はrules of self-responsibility あるいは the principle of self-responsibility。
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自己責任(じこせきにん)という言葉は現在多義的な言葉となっている。反対の意味の語として「連帯責任」がある。
第一に、「自己の危険において為したことについては、他人に頼り、他人をあてにするのでなく、何よりもまず自分が責任を負う[8]」という意味がある。「お互いに他人の問題に立ち入らない」という価値観によるものである。
アメリカ社会における国家観に立脚した行政改革・司法改革による事後監視、事後救済社会における基本原則の一つである。もっとも、この原則は
十分な情報と判断能力がない場合には妥当しない。
第二に、「個人は自己の過失ある行為についてのみ責任を負う」という意味がある。個人は他人の行為に対して責任を負うことはなく、自己の行為についてのみ責任を負うという近代法の原則のことである。
第三に、「個人は自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負う」という意味がある。何らかの理由により人が判断能力を失っていたり、行為を強制されている場合は、本人の選択とは断定できないため、この限りではない。
なお、「証券取引による損失は、たとえ予期できないものであっても全て投資者が負担する」といわれることがあるが、これは、上記第一あるいは第三の意味の責任が証券取引の分野に発現したものと捉えられよう。証券取引はもともとリスクの高いものであるから、たとえ予期できない事情により損害が発生したとしても、投資者が損失を負担しなければならないということである。(参照⇒投資家の自己責任原則、損失補填の禁止)
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