艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

天長節です。旗日です。

1年前の書き込み。

国家国民への虐待の視点。

神道への虐待、皇統への虐待の視点。

tu-ray-0g-0s1.hatenablog.com

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tu_ray_0g_0s1/20211215/20211215090133.png

憲法典範を遵守し、先例前例に従い、(メディア総動員による情報統制、報道弾圧に加え)憲法違反の御意向圧力とやらを行使することなく、摂政を立ててさえいれば、国家への経済的虐待、国民への経済的虐待も防げただろうに。

神道への虐待、皇統への虐待とともに。

会計検査院はいったいなにやってんだ?と思っていたが、なんだこりゃ???

news.yahoo.co.jp


www.sankei.com

 

国家国民統合の象徴を体現しておられた昭和帝。

下記の通り、そのような存在とはかけ離れたとんでもない国賊大逆賊ですので。

tu-ray-0g-0s1.hatenablog.com

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tu_ray_0g_0s1/20211215/20211215090133.png

記事削除に備えて文字、画像の魚拓。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/e21034a2dd8d77302267be76efc3a66bd70cabad?page=1

「赤坂に上皇さまを連れて戻るのが自身の務め」と願った美智子さま 仙洞御所での生活はじまる〈dot.〉

4/28(木) 11:30配信

「陛下を赤坂に連れてお戻りになるのが、ご自分の務め」
  上皇后美智子さまは、何度もそう口にし続けていたという。コロナ禍が続く中、外出も控えていた美智子さまだが、電話で知人と話すことはあった。

 美智子さまと20年以上の親交がある、絵本編集者の末盛千枝子さんもときおり話をする機会があった。 
「はじめのほうのお声は小さいものの、会話が続くとだんだんとお声に張りが出て元気になられます」
  関係者によると、美智子さまのご体調はあまりよくない。
 「午後になると熱が出るといった症状も続いておられるとも聞いています」(同)
  そして上皇さまも昨年12月に88歳の米寿を迎えた。体調にお変わりはないとはいえ、昭和天皇の87歳を超え、記録が残る歴代天皇の中で最長寿となった。  美智子さまは、上皇さまを思い出の「旧赤坂御所」に連れて戻る――その思いで上皇さまを支え続けてきた。 
 上皇ご夫妻が入居することで名称は、上皇の住まいを意味する「仙洞御所(せんとうごしょ)」に変わる。おふたりが住む建物自体は、ご夫妻が結婚してから30年あまりの歳月を過ごした思い出の住まいだ。結婚した翌1960年に建てられたこの「東宮御所」で、浩宮さま(天皇陛下)と礼宮さま(秋篠宮さま)、紀宮さま黒田清子さん)を育てた。
  美智子さまは、平成の最後の誕生日となる2018年に公表した文書で、仙洞御所での生活を心待ちにする心情をこうつづっている。
 「先々には、仙洞御所となる今の東宮御所に移ることになりますが、かつて30年ほど住まったあちらの御所には、入り陽の見える窓を持つ一室があり、若い頃,よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち,戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います」
  ■おでまし直前にあがる雨
  そして4月26日。
  高輪の仙洞仮御所での生活を経て、29年ぶりに上皇ご夫妻は東京・元赤坂の赤坂御用地での生活に戻った。
  この日は、夕方から天気が崩れた。差した傘がめくれるほどの突風と横殴りの雨で記者の服もびしょびしょにぬれた。沿道で待つ人々も悪天候と葛藤しながら帰還を待っていた。

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「赤坂に上皇さまを連れて戻るのが自身の務め」と願った美智子さま 仙洞御所での生活はじまる〈dot.〉

4/28(木) 11:30配信

 午後5時前後には、小降りになり、いつのまにか雨はあがっていた。
  平成の時代も地方公務などに同行していると、上皇さまがお出ましになる直前に雨があがる、といったことは何度かあった。
  5時20分過ぎ、上皇ご夫妻を乗せた車が赤坂御用地に到着した。
  沿道からは「キャー」と喜びの悲鳴にも似た歓声があがる。赤坂への帰還に「おかえりなさい」とあたたかな声が飛び交った。上皇さまは笑顔で手を振り、美智子さまは開いた窓の縁に指をかけてほほ笑みながら何度も会釈をした。
  おふたりを乗せた車は、赤坂御用地の正門にゆっくりと入っていった。上皇ご夫妻の「おかえり」を見届けた人びともほっとした様子で駅に向かって歩き出した。
  雨のあがった道を歩く人びとの背中を、顔をのぞかせた夕日が照らしていた。 (AERAdot.編集部・永井貴子)


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