平成、令和のキンヂョー家による、内国への政治的権能の行使もしくは干渉、介入、および対外への政治的権能の行使もしくは干渉、介入には、立憲君主制を根底から破壊するものとして、断固反対する。
神道弾圧、皇統簒奪を隠そうともしなくなった国賊、大逆賊のショーダミチコが片付いてから、あるいはショーダミチコとヲワダヒサシが片付いてから、
それから始めても、国家国民が困ることも、おそらくは皇祖皇宗、皇統が危機に立ち至ることも、何一つ無かろうに。
むしろ皇統簒奪の橋頭保として、終身の身分保障を僭称、捏造される方がどれほど危険極まりないことか。
昭和帝が崩御されて以降、いったいいくつの政権を、それとともに安定的な国民生活をどれだけ破壊してきやがったのか、くらいには思うわな。いわゆる失われたン十年として。
そのご覚悟が分かるのが、以下のエピソードだろう。目下、この議論に意欲を見せているのが額賀福志郎衆議院議長。保守派への配慮もあってこの議論を避けてきた前任の細田博之議長とは打って変わり、議長就任直後から意欲を見せていたという。
そして、このように“前のめり”になっているのは、上皇后さまからの「重いお言葉」があったからだというのだ。前出の宮内庁関係者が明かす。
「額賀議長は就任後、上皇ご夫妻に謁見する機会があり、その際に上皇后さまから『(皇位継承に関する議論を)よろしく進めてくださいね』というご趣旨のお声がけを賜っているのです」
この異例のお言葉を額賀議長は重く受け止めたということだろうか。あらためて本人に尋ねると、
「ようやく第1回の会議が開かれたところです。各党が意見を出してくれて、私はその意見を聞く立場。粛々と議論していくのは当然のことです」
と、やはり前向きな姿勢がうかがえるコメントを語っていたのだが、「上皇后さまのご意向があったと聞きましたが」と告げるや、
「…………」
それまでの冗舌がうそのように突然沈黙。しばし静寂ののち、一方的に電話は切れてしまったのだった。
成年女性皇族の数/頭数について、いったい何人いればいいと考えているんだろうか。
詳しく聞いてみたい処ではある。
例えば、直近5年スパンと、今後10年20年程度のスパンにおいて。
俺は4人もしくは5人程度もいればそれで十分ではないのかと、個人的には思っているんだが。(そりゃ上限、下限で幅をもたせるのは当然としても。)
理由は次の通り。
GHQ占領下の1947年(昭和22年)皇籍を保持していた11宮家が強制的、半強制的に臣籍降下して以降、1951年(昭和26年)貞明皇太后が崩御されるまで、成年女性皇族数はおおむね5人(皇后:1、皇太后:1、宮妃:3)。
以降、おおむね4人の成年女性皇族数をもって、終戦直後のあの大動乱期を乗り切ったはず。ショウダミチコが潜り込む1959年(昭和34年)までは。
その当時(ショーダミチコが潜り込む以前)において、成年女性皇族数が少なくて困った、などという話は、寡聞にして、、、
ちなみに今現在の成年女性皇族数は下記にもある通り、
内廷/4宮家で、12
2011年から2018年にかけては13(11宮家の臣籍降下以降、戦後最多)
先日の書き込みから、いくつか抜粋。
火急の案件てのは、マッチ(英)ポンプ(蘭)の案件のことだろうか。
あの東日本大震災が発災したその年の秋(2011年10月5日)には、火急の案件だ何だと大立ち回りした挙句、皇統簒奪宮家いわゆる女性宮家をゴリ押ししようとしたトンデモない前科持ち、国家国民の敵、神道、皇祖皇宗、そして皇統の敵なんだから、表題のような心持なんてカケラすらもあるはず無いか。
皇族が、とりわけ女性皇族が戦後最多の12人、13人体制のこの状況下において、むりやり皇族数の減少(はぁ~?)を大義名分とするなら、時限的に5年、10年、15年程度の期間限定とする、それくらいならまだ分からんでもないが(それでも俺は徹底的に反対するだろうが)、なぜに当初から終身の身分保障を大前提とするのか、まったくもって意味不明。わけ分かんねーやな。
成年女性皇族数
11宮家の臣籍降下以前
内廷/14宮家で、19
(20歳以上でカウント、18歳以上なら20)2024年4月26日
内廷/4宮家で、122011年から2018年にかけては13
(皇太子家/皇太弟家/皇嗣家は宮家でカウント)
俺の立ち位置はこの辺でわかるでしょうか。
1947年(昭和22年)10月、GHQ占領下において行われた強制的、半強制的な臣籍降下。それら皇統、皇族の血統たる11宮家の皇籍復帰、皇籍回復に関しては歓迎すべき旨、一貫して書き込んできたつもり。ただし増えすぎたら皇統・皇室と、国家国民双方の危機になるので、事前になんらかの安全装置を組み込んでおくべきとも。
以前の書き込みから。