艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

白紙

清水澄のwikiより

国家総動員法の審議が第73回帝国議会で行われた際、「この法案は憲法違反とはいえない」という考えを示した。原田熊雄からこのことを聞いた西園寺公望は「清水なんかに憲法が判るもんか」とコメントしている

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%BE%84



国家総動員法wikiより

この「国家総動員」という言葉は、「総動員」という戦争計画を前提とする軍事用語と、ドイツ陸軍参謀次長 ルーデンドルフが指導した「ドイツ戦争経済」からヒントを得て、1921年におけるバーデン=バーデンの密約組の永田鉄山が造語したものだとされている。

のちの1935年、ルーデンドルフ自ら『国家総力戦論』を著したのを受けて、第二次世界大戦後に岡村寧次が永田や東條英機の言動から、この国家総動員体制に対して後知恵で「総力戦体制」と名付けた。

但し、徴兵制と総動員の概念は、非職業軍人(徴兵された大衆)でも多くの役割を担える歩兵主体から、通信兵・砲兵・衛生兵・工兵・空兵といった(平時からスペシャリストとして訓練を受けている)職業軍人でなければ役割を担うのが難しい特殊兵科要員に軍の需要が移り替わっていたため、空疎化しつつあったが、永田はこの種の近代化を理解していなかった。

この種の近代化を主唱したのは、山岡重厚、山下奉文などの皇道派であったとされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%B7%8F%E5%8B%95%E5%93%A1%E6%B3%95#.E8.83.8C.E6.99.AF.E3.81.A8.E5.BD.B1.E9.9F.BF



国民徴用令のwikiより

国民徴用令(こくみんちょうようれい、昭和14年7月8日勅令第451号)とは、国家総動員法に基づいて、昭和14年に制定された日本の勅令である。
一部地域では白紙などと呼ばれた



日本本土における施行
1939年(昭和14年)7月より、日本内地で実施される。


朝鮮における施行
1944年(昭和19年)8月8日、国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にも実施する、とした閣議決定がなされる。

1944年9月より実施され、1945年8月の終戦までの11ヶ月間実施される。

日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月の下関-釜山間の連絡船の運航が困難になるまでの7ヵ月間であった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%BE%B4%E7%94%A8%E4%BB%A4








ネトウヨ系の人たちから見て、いわゆる従軍慰安婦像の設置と同じ程度に日本の国益を損なうと思えるなら、直近の談話で言及(否定か並置か)するよう運動してもいいんじゃなかろうか。

あれらの思考形態考えりゃ、いわゆる
従軍慰安婦像の隣や海外日系企業の正門前に建てやがりそうで。