艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

人民裁判で、政治の信頼が取り戻せるはずは無かろうに。

どこぞの未開の野蛮人国家ならともかく。

(まぁ、さして変わらんだろうくらいに思っとるのかもしれんが。)

 

プロパガンダとほとんど同義の支持率が上向くとも思えんし、上向いたら上向いたで、それもどうなんだろうとは思うわな。

なんつーか、日本語としてのポピュリズムの極致、ということなんだろうから。

 

wikiによれば、

ポピュリズムという言葉は、アメリカなどでは肯定的に使われる一方、ファシズムを経験した日本・欧州では否定的な意味で使われる傾向がある。そのためポピュリズムという言葉は価値中立的に用いられることはない。日欧では、非難されるべき対象や姿勢を名指しする場合に用いられることが多い。

だそうな。

 

 

スウィング保守、スウィングリベラルは知らんが、かつての自民の岩盤保守、岩盤支持層は、今回の極めて恣意的な対応に呆れ返って、呆れ果ててんじゃなかろうか。

 

www.jiji.com

 

5年後、10年後に、日本 人の20代、30代 女性の希望者ほとんどが、当たり前のように卵子凍結しているとしたら

その時代の皇族、皇室メンバーの20代女性、30代女性が卵子凍結しないはずは無かろうし、(声だけは大きい皇統簒奪論者、皇室廃絶論者を除き)  日本人と日本人女性がそれを許さぬはずもないと思うのだが 、

(当然ながら、犯罪と混乱を未然に防ぐ仕組みづくりと法整備が必須なのは言うまでもない)

 

仮にそのようになっているとしたら、むしろ逆に、増えすぎた皇族や皇室メンバーをいかにして上限、下限の範囲内、国家国民にとっても、皇統、皇室にとっても望ましい適正数の範囲内に収束させるか、そちらの方が、国家国民レベルの危機、国家レベルの大問題になるんじゃ、なっているんじゃなかろうか

 

前任の細田衆院議長だったら、このような極めて拙速と言わざるを得ない形で議論に入ることなく、(用語が適切か否かは分かりかねるが) いわゆる吊るし(つるし)に徹していたかもしれない、とも。

 

ゴールデンウィークの辺りって、皇室の議論をするにふさわしい(総裁選、国政選挙から離れた)静謐な環境なのかねぇ。

 

俺は今のままでも女性皇族数はいくらなんでもあまりに多すぎると思っているし、

むしろ女性皇族数に関しては適正数に近づけるべく国家的な国民的な働きかけをするのも選択肢の一つ、くらいには思っているが、

 

(どこぞの極めて大きな声、極めて大きな雑音によって)それが難しいのであれば、数十年スパンとは言わずとも、

せめて、神道弾圧、皇統簒奪を隠そうともしなくなったショーダミチコとヲワダヒサシが片付くまでは、現状維持のまま、その推移をあたたかく見守った方が、あるいは時の神の思し召しにゆだねた方が、国家国民のため、皇統のため、皇室のためにもなるとは思うのだが、

 

皇統簒奪論者、皇室廃絶論者の考えることは、本当にワケわからん。

 

 

 

以下、(何度か繰り返しているんだが) 再掲します。

 

下記は2017年1月時点の書き込みから、成年女性皇族数のみ抜粋。

成年女性皇族数の当時との差異は、降嫁1、皇籍離脱もしくは降嫁1、成年1。

55年体制になぞらえて、皇室47年体制、皇籍47年体制みたいに書いたこともあるのだが、1947年以降の成年女性皇族数の最多は12人、13人体制。

今現在も12人を維持。

先例、前例によるなら、皇后位、皇太后位を含め、成年女性皇族数は4人、5人でも十分なはず。

(ただし、皇后位、皇太后位は良子皇后/皇太后崩御以降、数十年の空位を続けていると俺は思っているが。)

皇室、宮内庁予算の獲得および消化、繰越、その他どうなってるのかは知らんけど。

とりわけこの武漢ウイルス禍の真っ只中においては。

 

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2021年12月7日付け

tu-ray-0g-0s1.hatenablog.com

 

 

 

これも貼っときましょうか。

tu-ray-0g-0s1.hatenablog.com

 

 

 

 

 

日米、国際秩序「共に責任」

国際秩序に対するネグレクト
インド太平洋/東アジアの平和と安定に対する不作為によって、

 

(結果的にせよ何にせよ)
支那中共、鮮人半島、ロスケ等々に多種多様な利益を与え、享受させることとなり、

 

ひいては現状、日本の国家国民の犠牲、負担、コストその他、およそあらゆる不利益を強いることになっているのではないか、くらいには思いますわな。

 

大東亜戦争以降、一定程度の期間において、


国際秩序に対するネグレクト、
インド太平洋/東アジアの平和と安定に対する不作為が、

 

日本の国家国民にとって(プラスマイナスの差異引きで)何らかのプラスに作用したことがあったことを否定するものではないが、

 

残念ながら、21世紀の今この時期、インド太平洋/東アジアにおける国際情勢はその当時とは比較にならぬほどに激変。根底から覆った、もしくは覆りつつあると言っても過言ではない。

そのような状況下においては、主権国家たるわ~国、国家国民に核の照準を向ける仮想敵国に対しては、その向き合い方を変えていかざるをえない、ということなんでしょう。おそらくは。

 

www.jiji.com

 

 

 

とは言いつつ、

俺は鮮人半島に関しては(北か下かを問わず)半万年の仮想敵国、百歩譲っても下半分がスウィング仮想敵国であることに変わりはない、くらいの認識なんだが、

そんな俺ですら、

例えばわ~国の総選挙/衆院選で与党が敗北したその時に、隣国が国賓待遇で招待されていたら、、、そのように考えると、ちょっとではなく、かなり首を傾げますわな。

 

(俺は鮮人半島とは北か下かを問わず、常に一定程度の距離を取るべきで、いわゆる従軍慰安婦その他は解決しない、させないことも選択肢の一つ、くらいの立場ではあるんだが、それでも)今回の訪米日程、(詳しく知らんが) 日本側から動かそうとしてもよかったんじゃないのかねぇ。

今に始まったことではないが、それこそ半万年、煩の国、煩の国民、恨の国、恨の国民なのだから。

検証するメンツの半数以上をAI専門家にして、5年、10年、数十年スパンで眺めないと

意味ないんじゃなかろうか。

(国境を越えて呼んでこないと、足りないどころの騒ぎじゃなさそうではあるが。)

 

(本来は)百年スパンとか、百年安心とか吹聴してんですかね、これ。

 

www.47news.jp

 

民主主義国家のAI、民主主義国家のみのAIだったら何とかなるのかもしれんが、専制国家型のAIとか、独裁国家型のAIとか、あ~、嫌だ嫌だ。

意図せざる偶然か、それとも意図してのものか、わたしゃ知りませんけど

、、、ときしりてこそ、、、

天正6年8月、勝龍寺城に輿入れした娘さん)

 

ときはいま、、、

(上記のその父親)

 

丹波攻略を命じられると、まず亀山盆地に進出する。天正5年(1577年)に丹波亀山城を築いて入部したのが、亀岡の近世的な始まりといわれる。

 

明治2年(1869年)- 三重県亀山市と混同するため、亀山から亀岡へと改称

 

〇〇家は代々農業を営み、南桑田郡(現・亀岡市)で有数の大地主として知られた。六世祖父・光従、五世祖父・平太夫の2代にわたって庄屋を営み、特に六世祖父の在職中には天保の大飢饉に遭遇し、幾多の困難を冒して郷土のために奮闘した。墓所亀岡市旭町の〇〇家墓地にあり、同地の臨済宗大雲寺を菩提寺とする。

 

丹波の国人衆、後の旗本、御家人?との関連も分かりかねるので、詳しい人、お願いします。

静岡以外の1都4県の工事の遅れ、未着工、差し止めを批判するものだけが

石を投げなさい。みたいな感じかねぇ。

 

批判する分に関しては表題通り、

1都4県の工事の遅れ、未着工、差し止めを批判するもの、でも、

静岡も含めて1都5県の工事の遅れ、未着工、差し止めを批判するもの、でも、

どちらでもいいんだが。批判のための批判、批難のための批難でなければ。

 

それにしても、教科書に載せたくなるような、偏った、一方的な、すんざまじいプロパガンダだわな。

 

wikiによれば (wikiが正しいとすれば)、代々農業を営み(有数の大地主、庄屋、郷土のため天保の大飢饉に奮闘)云々ともあるらしいが、、、

 

 

 

詳しく知らんのでアレなんだが、批判的な読み方、批判的思考という用語が定着する前に、それらに対しての、批判的な読み方、批判的思考はなかったんだろうか。

 

例えばの例として、批評的な読み方、批評的思考、評論的な読み方、評論的思考、それらが正しいとは言わないし、他にもっと適切な用語、訳語はありそうではあるんだが、

 

少なくとも、批判的な読み方、批判的思考という用語、その批判の語意、語義に引きずられて、意味を誤解する人、曲解する人が後を絶たないであろうことを考えると、ちょっとなぁ、、、と。

 

(ついでに書かせてもらえば、俺は女の出っ歯は大嫌いでして。アタマのイカレた、犯罪性異常人格の。

< 開く/閉じる >

 

もっと言えば、隣りの売春あっせん野郎、隣りの上納野郎、隣りの連続婦女暴行魔、隣りの洗脳強姦魔、隣りの調教強姦魔、隣りのマタ貸し強姦魔、隣りの極悪人、隣りの悪魔、隣りの悪霊、、、その共犯者の。

 

というのは明記しておこう。理由を書けと言われたらいくらでも書きますけど。)

 

 

 

いくつか貼付。

critic

(n.)

かつて critick とも書かれ、1580年代、「何か特定の分野のものの価値を判断する人、判断力に長けた人」という意味で、フランス語の critique(14世紀)、ラテン語の criticus「裁判官、検閲官、評価者」、または「文学作品で偽物の部分を見つけ出す文法学者」という言葉から来ています。これは、ギリシャ語の kritikos「判断を下す能力がある」という言葉から派生し、krinein「分ける、決定する」(PIEの語根 *krei-「ふるいにかける」から、「識別する、区別する」という意味です)に由来します。本や劇などの価値を判断する人」を指す意味で、約1600年頃から使われています。この英単語には常に「批判者、難癖をつける人、厳しく判断する人」というニュアンスが含まれていました。

To understand how the artist felt, however, is not criticism; criticism is an investigation of what the work is good for. ... Criticism ... is a serious and public function; it shows the race assimilating the individual, dividing the immortal from the mortal part of a soul. [George Santayana, "The Life of Reason," 1906]
アーティストの感情を理解することは批評ではありません。批評とは、作品が何のために優れているかを調査することです。... 批評は真剣で公的な機能であり、個人を人類に同化させ、霊魂の不滅の部分を死すべき部分から分けるものです。 [George Santayana, "The Life of Reason," 1906]
A perfect judge will read each work of wit
With the same spirit that its author writ;
[Pope, "An Essay on Criticism," 1709]
完璧な裁判官は、その作品を書いた
精神で、各々の知的作品を読むでしょう;
[Pope, "An Essay on Criticism," 1709]

「劣った批評家または能力のない批評家」のための17世紀の言葉には criticaster があり、後の世代では criticling, critikin, criticule が使われました。

criticism

(n.)

1600年頃、「批判、評価、品質に関する議論、批評的な発言や論考」という意味で、critic + -ism から派生した言葉です。特に「文学的または芸術的な価値を評価すること」を意味する「物事の質や価値を判断し定義する芸術」という意味は、1670年代に生まれました。また、「テキストの歴史と真正性に関する調査」(higher criticism の意味)は、1660年代に生まれました。

In the first place, I must take leave to tell them that they wholly mistake the Nature of Criticism who think its business is principally to find fault. Criticism, as it was first instituted by Aristotle, was meant a Standard of judging well. The chiefest part of which is, to observe those Excellencies which should delight a reasonable Reader. [Dryden, preface to "State of Innocence," 1677]
まず第一に、私は彼らが批評の本質を完全に誤解していると伝えなければなりません。批評とは、最初にアリストテレスによって創設されたもので、優れた判断基準を意味しています。その主要な部分は、合理的な読者を喜ばせるべき優れた点を観察することです。[ドライデン、「State of Innocence」の序文、1677年]

 

critical

(adj.)

1580年代、「批判的で、欠点を見つける傾向がある」という意味で、critic + -al (1)から来ています。1600年ごろからは「決定的であるかどうかを判断するのに重要または必要な」ことを意味し、もともとは医学用語でした。1660年代からは「危機の性質を持っている、極度の疑問や危険の状態にある」という意味で、1640年代からは「何かの真実か価値に関して判断を下すことを含んでいる」という意味で使われています。同じく1640年代からは「判断を下す知識や能力、または洞察力がある」という意味もあります。「批評に関する」という意味は1741年からです。

関連語:Criticality(1756年; 核の意味では1950年)、critically(1650年代、「正確に」; 1815年、「危機的な状況で」)。核科学では、critical massは1940年からあります。

 

無題

ドヤコンガ、二代目(?)ドヤコンガについてはもう少ししてから書いてやろう。

徹底的に。

俺もハラワタ煮えくり返ってるんで。

どうせ、これまでの書き込みを引っ張ってくればいいだけなんだろうし。

 

隣りの売春あっせん野郎、隣りの上納野郎、隣りの連続婦女暴行魔、隣りの洗脳強姦魔、隣りの調教強姦魔、隣りのマタ貸し強姦魔、隣りの極悪人、隣りの悪魔、隣りの悪霊とともに。