艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

国家国民がラニーニャに苦しむ際には、、、

令和初 雨の園遊会(読売)

雨の園遊会(朝日)

園遊会」雨の中5年ぶり開催(日テレ)

両陛下 悪天候での園遊会の出席者を案じられる(フジ)

 

日程については、6月17日東京出発、同月23日帰国の予定である。

 

 

今日6月8日(木)11時気象庁関東甲信地方が梅雨入りしたとみられると発表しました。 平年より1日遅く、昨年より2日遅い梅雨入りの発表です。

 

【祥瑞の思想、昭和天皇の海外ご訪問とエンペラー・ウェザー】

昭和天皇が海外にゆかれた時のちょっと不思議な出来事のお話です。奇跡と見るか、偶然の重なりと見るか、世の中にはいろんなことがあるものです。
アンカレッジ到着後、随員の小坂尚志宮内庁総務課長から同庁に入った報告によると、離陸30分後にアラスカの空に輝くオーロラが見え、陛下は窓に額をくっつけるようにしてご覧になった。(『読売新聞』昭和50年10月1日)
 この新聞記事は昭和天皇が訪米された時の記事です。それに先立つこと昭和46年に昭和天皇はご訪欧され、その時両陛下の御召飛行機のパイロットを務められた富田喜久雄氏インタビュー記事が文藝春秋に載ったことがあります。
 天皇、皇后両陛下をお乗せした特別機が、アンカレッジを飛び立って、ご訪欧の第一歩である、コペンハーゲンへ向かった直後のことでした。空いっぱいに、実に見事なオーロラが出たんです。私たち操縦席にいる仲間は、このコースを何べんも飛んでいるのですが、これほど見事なオーロラを見たことがない、というほどきれいでした。
 両陛下はお発ちになる前、ぜひオーロラを見たいとおっしゃっていたそうですが、これは冬でないとなかなか見られない。この時期ではちょっと無理でしょうと、宮内庁の方に申し上げておいたんです。それがどうして、冬でも何年かに一度というようなオーロラがでたんですからね。(富田喜久雄「天皇をお乗せした三万キロ」『文藝春秋』昭46年12月号)  
 御召の飛行機は、ちょうどオーロラにとりまかれて、縦に横にサラサラと流れていくような光に包まれて飛んだそうです。冬にしか見られないオーロラが秋のさなかに、しかも冬でさえめったに見られないような見事なものが昭和天皇の御召飛行機を包むように現れたのですから富田氏の驚きようが、記事にあらわれていて、富田氏は「こういうのを瑞光というのかもしれません」と語っていました。
 天子様の御徳が、自然現象に及び、奇瑞を顕すという考えが、支那の思想に古くからあり、一般に祥瑞と呼ばれて、我が国にも早くから伝わり、天皇の御徳をおたたえする出来事として数多く、記録されています。富田氏はまさにそんな感じに思えたのです。そして昭和天皇の2度目の外国訪問でも、秋であるのにまたもオーロラが現れたのですから、祥瑞というものを信じたくなるではありませんか。
 天皇陛下のご行動にはいつも天候の恵みがついてまわるというのはよく聞く話です。そのため天皇晴れという言葉もあります。訪欧の旅にご出発の前の9月26日は東京は豆台風の接近で大雨になり、翌日のご出発が案じられるほどでした。ところが一夜明けた27日は文字通りの日本晴れでスモッグも洗い流され、一点の雲もない碧空に御召機は光を放ちながら翔けのぼりました。昭和天皇が御訪欧された時の随員であった作家の北条誠氏は、『皇城の人びと』の中で書いています。
 アンカレッジで、御召機は、今年はじめてのオーロラに包まれた。コペンハーゲンでは、一足先に私が到着した時は小雨だったが、御召機到着の30分前に晴れあがり、美しい虹が架かった。その虹の橋に乗って御召機が浮かんだ。
 ブリュッセルでは濃霧、その為、私は到着が遅れた。しかし、陛下の御召機は一本の帯のように割れた霧の間から、無事予定通り着陸したという。
 五たび、ロンドンで「奇跡」を見て、私はもう偶然とは思えなかった。
 両陛下より一時間半早く着いた私は、ヒースローの空港の上で、たっぷり名物の霧に見舞われたが、その霧が御到着の頃には晴れ上がった。御滞在の三日間、既にもう冬のロンドンでは信じられない青空が続いていた。御出発の朝、陛下より四五分後に出発する私の飛行機は、湧き起こった濃霧で離陸不能となり、各便とも2時間から3時間遅れた。
 昭和天皇のご行動はことごとく天候に恵まれ、予定通りに運ばれたにもかかわらず、北条氏のように先発後発の随員たちの場合は、なぜか微妙な差で、こうも違いが出ました。
 さらに北条氏は書いています。
 アムステルダムの動物園前で、反日分子が陛下のお車に無礼を働いた時の事だ。
 突然空が曇り、小雨がばらつき、竜巻のような突風が枯葉を巻き上げ、カメラの三脚をなぎ倒した。ほんの2、30分で、陛下の動物園御出発と共に、その雨風はやんだ。
そして、最後のケルンの空港では、
 御召機の出発をお見送りして、私たちは食堂に入った。ビールで乾杯しているとき、一天俄にかき曇り、大雨に稲光まで加わって、私の乗るハンブルク行の飛行機は一時間出発が遅れた。
 まさに嘘のような話である。昭和の今日、私は「神風」を信じるほど古風ではない。しかし「偶然」とすれば、この連続はむしろ不気味ではないか。
 五たび、すなわち、御出発時、アンカレッジ、コペンハーゲンブリュッセル、ロンドンでの「神がかり」的な体験に遭遇して、北条氏は、このように感想を結んでいます。
ところが「奇跡」は五たびではありませんでした。
 御召機のパイロットの富田氏はさらに書いているのです。
 ジュネーブからボンに行く途中、ミュンヘンの上を通ったんです。いま、オリンピックの会場の建設工事が進んでいます。両陛下はぜひそれをご覧になりたいということでしたし、ドイツ側も見ていただきたいということだったので、会場上空を高度を下げて、ひとまわりしてきました。
 不思議なことに、事前に一度、同じコースで自分たちが飛んだ時には、靄がかかっていて、ほとんど見えなかったのに、「それが両陛下が乗られて行ってみると、雲ひとつない上天気で、きれいに見えたんですからね。」そして帰路、昭和天皇グリーンランドを見たいとおっしゃられています。行きはちょうどお休みの時間でご覧になれなかったのです。
 何とかして見えるようにしたいと思いながら飛んでいると、パッと雲が晴れて、下の飛行場の光まではっきり見えたんです。
 それとマッキンレー山脈。これはアンカレッジにだいぶ近づいてからですが、予報によれば、雲が多いので「見えるとは申し上げるな」という事にしておいたんです。ところがこれも、そこまで行くと全然雲もなしになりましてね。山ぜんぶが見えるわけですよ。
 昭和天皇が2回目の外国訪問で訪米されたとき、その前一週間は大雨でニューヨーク、ワシントンでは、主要道路さえまるで川のようになり、特に飛行場と市内をつなぐ道路が出水で一時寸断されたほどでした。26日、キッシンジャーとの会談でニューヨークからワシントンに向かった宮沢外相は到着に手間取っており、関係者は、このまま降り続けば、天皇のお立ち寄りの際、道路状態が悪く不手際があってはと心配していましたが、
 天皇御出発の29日、米国はほとんど全土にわたって久々の快晴に恵まれ、絶好の歓迎日和となった。天気予報によると、この好天は天皇バージニア州ウィリアムズバーグに御訪米の第一歩をしるされる30日も持続する見通しで、特に先週いっぱい連日の大雨を記録した東部沿岸も29日は雲ひとつない秋晴れ。悪天候を心配していた米当局やワシントン、ニューヨーク等の日本側関係者は、「よいお天気のもとで天皇をお迎えできる」とほっとしている。(産経新聞 昭和50年9月30日) と報じられました。
 アンカレッジのあと、ウィリアムズバーグの空港に降り立たれたとき、「薄雲の空から両陛下を歓迎するかのように、突然まぶしいバージニアの陽光が、空港エプロンに降りそそぐ」(読売新聞 50年10月1日)といった場面が展開しました。
 ワシントンでは、早朝雨がぱらついていましたが、御到着時にはすっかりあがっていました。昭和天皇が、ホワイトハウスでフォード大統領のあと、御挨拶の言葉を述べられた途端、
 雲の隙間から、サッと明るい日差しが一面に飛び込んできた。思わず群衆の間から「オー」と歓声が上がった。実況中継していたABCテレビのベル記者が「さすが天皇。お日様を呼び戻すとは」と放送していた。(読売新聞 50年10月3日)
 その後は、快晴続きで“エムペラー・ウェザー”が全米土を覆いつくしたのでした。
聖王の御徳に天が感応してあらわしているという祥瑞の思想、みなさんはどうお考えでしょうか。

 

その昔、わー国において、虹は吉兆か否か、みたいな論争がありまして。

俺は(キリスト教圏含め他国ならいざ知らず) 少なくとも本邦においては吉兆ではない旨、論陣を張っていたものですが、、、色々、様々、思うところがありますわな。

すいませんねぇ。俺は昔から一貫してこの通りのキャラ、この通りの立ち位置だったも

で。(2つ目のリンク、部落解放同盟のくだり。直近の天下の悪法にも直結してますわな。虹、虹、虹。)

当時の書き込みからいくつか。

tu-ray-0g-0s1.hatenablog.com

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