艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

ちょっと自虐史観が過ぎる、自虐認識が強過ぎる印象。

ちょっと冗談抜きで、日本人と日本国民は強い警戒感を持った方がいいかもしれない。


ジミー・サヴィルによって、(海外から見た)英国社会全体の信頼が毀損

ハーヴェイ・ワインスタイン、ジェフリー・エプスタインによって、(海外から見た)米国社会全体の信頼が毀損

そのような発言を聞いたことのある人(とりわけ日本人)って、いるんでしょうか。

 

以前の書き込みから。

ハーヴェイ・ワインスタイン、ジェフリー・エプスタインともに存命中、正式な司法手続きを経て、収監。
ジミー・サヴィルは死亡後ながら、証言だけでなく、大量の証拠写真が出てきた旨の記事を目にしたような気もするんだが、ウロなので。)

 

正式な司法手続きを通さないことで、日本の司法全体への信頼が毀損
捜査機関への通報、当局との情報共有をしないことで戌HK全体の信頼が毀損
ということならあるかもしれないが。

 

われわれの間では誰も自分の欲する以上に酒を飲まず、人からしつこくすすめられない。日本では非常にしつこくすすめ合うので、あるものは嘔吐し、また他のものは酔っ払う。(出典1)

 

われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、「殿はいかがなされた」と尋ねると「酔っ払ったのだ」と答える。(出典1)

 

われわれの教師は、子供たちに教養や貴い、正しい行儀作法を教える。

坊主は彼らに弾奏や唱歌、遊戯、撃剣などを教え、また彼らと忌まわしい行為をする。(出典1)

 

 

サムソン/サムスンがつぶれたら、みずほも(以下略)
ソフトバンクがつぶれたら、みずほも(以下略)
などと言われ続けて久しい、みずほ銀行の頭取、しかもソウル支店長経験者、なんだそうな。

 

news.tv-asahi.co.jp

 

 

(韓国に)強い親近感を持っている」と思いを打ち明けるのは、全国銀行協会会長の加藤勝彦さん。韓国銀行...

www.nikkan.co.jp

 

www.zenginkyo.or.jp

 

 

 

参考までに、さらにいくつか貼付しておきましょうか。

 

宇宙の創造とか(デウスの)戒律のことを(国主)に読み聞かせるように命じた。

 

そして彼らが偶像崇拝の罪とか、日本人が溺れこんでいる(種々の)誤りについて述べているうちに、ソドマ(の罪)に(関する箇条に)及んだが、そのような忌むべきことをする人間は豚よりも汚らわしく、犬その他理性を備えない禽獣よりも下劣であると述べた。

 

この箇条を読みあげられると、国主はただちに心に強い衝撃を受けたらしく、この教えに対して激昂したことを表情に表したので、(上記の)貴人は彼らに退出させよと合図した。

 

それで彼らは国主に別れを告げたが、(国主)は彼らに一言も応答しなかった。(国主)は彼らに一言も応答しなかった。(ともあれ)修道士は、(国主)が自分たちを殺すように命じるだろうと考えた。

(出典1:日欧文化比較 ルイスフロイス

 

 

父、喜多川諦道氏が、高野山真言宗米国別院の僧侶だったのは、多くの人が指摘する処。

当然ながら、可能性の範疇の話であり、推定無罪、疑わしきは被疑者(被告人)の利益に、とすべきであり、法治国家、法の支配を標榜するならその価値観に従うべき。

法曹界のどのような立ち位置に在ったとしても。

 

wikiより。

大規模寺院における稚児

 

平安時代頃から、真言宗天台宗等の大規模寺院において、剃髪しない少年修行僧(12~18歳くらい)が現れはじめ、これも稚児と呼ばれるようになった。皇族や上位貴族の子弟が行儀見習いなどで寺に預けられる「上稚児」、頭の良さを見込まれて世話係として僧侶に従う「中稚児」、芸道などの才能が見込まれて雇われたり腐敗僧侶に売られてきた「下稚児」がいた。禅宗では喝食と呼ばれた。

 

髪形は垂髪、または、稚児髷で、平安貴族女性と同様の化粧をし(お歯黒も付ける場合もあった)、極彩色の水干を着た。又、女装する場合もあり、その場合、少女と見分けがつきにくかった。

 

真言宗天台宗等の大規模寺院は修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制であるため、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色の対象とされた(ただし上稚児は対象外)。中世以降の禅林(禅宗寺院)や華厳宗などにおいても、稚児・喝食は主に男色、衆道少年愛の対象であった。

 

特に、天台宗においては「稚児灌頂」という儀式が行われ、この時に「○○丸」と命名された。これを受けた稚児は観音菩薩と同格とされ、神聖視された。また例えば華厳宗東大寺の宗性のように、およそ100人の稚児と関係を持った僧侶も存在した。

 

室町時代に書かれた「お伽草子」には僧侶と稚児の恋愛や稚児が観音菩薩の化身として現れる“稚児物”と呼ばれる作品群があり、また稚児を巡る社会風潮を批判するために書かれた『若気嘲弄物語』のような作品もあった[2]。

 

また、大法会の際に舞楽、散楽、延年を上演する場合が多く、他の寺の僧侶からも注目を集めた。

 

これらの稚児は成人に達すると還俗する場合が多いが出家して住職となった者もいたらしい。