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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

タイ王国 国王崩御



プミポン国王死去=在位70年、現役君主最長-親日家、皇室とも親交・タイ

  【バンコク時事】タイのプミポン・アドゥンヤデート国王(ラマ9世)が13日午後3時52分(日本時間同5時52分)、首都バンコクの病院で死去した。88歳だった。王室事務局が発表した。死因は明らかにされていないが、感染症などで治療を受けていた。70年もの長期にわたった在位中、国民の厚い信頼と絶大な人気を誇った国王の死去で、タイ社会は重大な転機を迎える。

 死去を受けてプラユット暫定首相がテレビ演説し、新国王に長男ワチラロンコン皇太子(64)が即位すると発表した。ただ、プラユット氏はこの後、記者団に対し、13日夜に謁見(えっけん)した際に皇太子から「国民と共に悲しみを表明する時間を持ちたい」として、即位を当面遅らせるよう求められ、了承したことを明らかにした。
 プラユット氏は演説で、服喪期間を1年とし、国民に娯楽活動を30日間自粛するよう要請。「社会の平和を維持するために助け合い、何者にも混乱を引き起こす機会に利用させてはならない」と団結を訴えた。
 プミポン国王は1946年、兄のラマ8世の急死を受けて18歳の若さで国王に即位。70年間に及んだ在位は世界の現役君主の中で最も長く、18世紀に始まった現チャクリ王朝の歴代国王の中でも最長だった。
 在位中は国内を精力的に視察し、国民生活向上を目的に、農村開発など数多くの社会開発事業を自ら指揮。民主化を求めるデモ隊に軍が発砲し、多数の死傷者が出た1992年の「5月流血事件」では調停者として事態収拾を図るなど、国家の安定に大きく寄与し、国民から深く敬愛された。

 ここ数年は健康状態が悪化。2006年に腰の手術を受け、07年に虚血症や大腸の炎症で約1カ月入院。09年9月には発熱などのため入院し、13年8月に退院するまで入院生活は4年近くに及んだ。
 その後も体調が優れずに入退院を繰り返し、15年5月末以降バンコクの病院に入院。公の場に姿を見せる機会は、ほとんどなくなっていた。
 親日家として知られ、63年5月、国賓として日本を公式訪問。06年6月の即位60周年祝賀行事には天皇皇后両陛下が出席された。秋篠宮さまが鳥類研究のため頻繁にタイを訪れるなど、皇室との関係も深かった。
 14年5月のクーデターで実権を掌握した軍事政権は、今年8月の国民投票で新憲法案が承認されたのを受け、民政復帰に向けた総選挙を17年中に実施する方針だが、国王の死去はこうした政治日程にも影響を与える可能性がある。(2016/10/14-00:44)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016101300853&g=int

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(以下、外務省のページより)

タイ王国
プミポン・アドゥンヤデート国王陛下略歴   
平成18年1月現在
(His Majesty King Bhumibol Adulyadej)



6. 家族構成
 シリキット王妃との間に1男3女
 (ワチラロンコン皇太子、ウボンラット王女、シリントーン王女、チュラポーン王女)

7. 趣味
 音楽、絵画、写真、ヨット等多方面

8.訪日歴
1963年5月     王妃陛下とともに日本公式訪問(国賓

9. 横顔
 (1)現国王陛下は在位55周年を迎えられ、英邁な君主として国民一般の敬愛の的となっている。若き日には自らジープを運転し、好んで地方の農村を訪問された。また、国王陛下自ら土地改革運動のために王室の所有地を提供したり、農村開発や干ばつ対策の人工雨等の各種王室プロジェクトを推進している。

 (参考)
 ○王室プロジェクト(Royal Projects)
 1950年代初めより開始された事業。地方の農村振興のために、農業、漁業、林業、酪農等の分野で、現在までに2000以上の非営利・半営利のプロジェクトを実施してきている。
 具体的プロジェクト: 高地稲作プロジェクト(山岳少数民族居住地での稲作を可能にする研究)、チトラダ酪農場(タイで酪農を普及させるための実験農場)、有機肥料、医薬用ハーブ栽培、無土壌栽培の研究等

 (2)200年以上の伝統を有するチャクリー王朝の第9世王として、国内政情が変転することがあっても常に変わらぬ権威を保ち、1992年の5月流血事件等の国家的危機の際に事態収拾のため現国王が果たした役割は大きい。

 (3)毎年の誕生日に国民に対して訓示を述べられるのが慣習となっているが、1997年の経済危機の年より述べられてきた、経済開発・成長の適度さを重視し、自立的・持続的な経済成長をめざす「足るを知る経済(Sufficiency Economy)」の概念は、タイ人の経済行動に大きな影響を与えている。

 (4)国王陛下の御趣味は多方面に及ぶが、特にジャズを好み自らサクソフォーンを演奏される。「Falling Rain」を始め国王作曲による50曲余りの作品が今までに発表されており、広く国民に愛唱されている。また、絵画においては大胆な線と色彩を駆使し、同国王の性格がポイントをつかむのに敏であることを伺わせている。ヨットでは東南アジア競技大会において優勝した経験も有する。その他写真撮影などがあげられ、キヤノンの一眼レフを長年愛用されている。

 (5)日本の皇室とタイの王室との関係は非常に緊密である。今上天皇皇后両陛下の即位後初の外遊先として1991年にタイが選ばれた他、秋篠宮殿下は公式、非公式ともに頻繁にタイを訪問されており、国王王妃両陛下は、秋篠宮同妃両殿下を我が子と同様であるとして、非常に懇意にされている。また、2001年7月25日に行われた香淳皇后陛下の葬場殿の儀には、国王の名代としてシリントーン王女殿下が海外からの唯一の賓客として参列された。2003年8月にはウボンラチャターニー大学からの名誉博士号授与のため、秋篠宮同妃両殿下及び両内親王殿下が訪タイされた。2005年8月には秋篠宮殿下がタイを非公式訪問された。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/thailand/cv/r_adulyadej.html