心と体の性に違和感がある人たちに対する差別は許されないが、現在議論されている法案は、課題が多すぎる。慎重な検討が不可欠だ。
自民党の一部議員が、性的少数者(LGBT)への理解を深めるためだとして、理解増進法案の国会提出を目指している。
法案は、LGBTに関する施策を推進するため、政府が基本計画を作り、毎年、その実施状況を公表することを国に義務づけている。企業や学校に対しても、必要な対策の実施を求めるという。
しかし、理解増進法案は、どのような行為が差別にあたるかを明示しておらず、肝心の対策も、今後の検討に委ねている。
具体策を曖昧にしたまま法整備を急げば、法律の趣旨を逸脱した過剰な主張や要求が横行し、社会の混乱を招く恐れがある。
例えば、出生時の性は男性で、自認する性は女性というトランスジェンダーの人が、女性用のトイレを使いたいと主張した場合、どうするのか。スポーツ競技で、トランスジェンダーが女性の種目に出場することを認めるのか。
トランスジェンダーにこうした権利を認めることになれば、女性の権利が侵害されかねない。
多様性を認めるためだとして、安易に法整備を図ることは慎むべきだ。「これも差別だ」「あれも差別だ」といった過激な主張に振り回される可能性もある。
先進7か国(G7)の中で、LGBTに関する法律がないのは日本だけだ、といった主張は事実に反している。各国は、差別禁止の一般的な規定を設けているが、日本は最高法規で法の下の平等を定めており、大きな違いはない。
19日からのG7首脳会議(広島サミット)前に法案を提出すべきだ、といった主張はおかしい。
それぞれの国の歴史や文化、社会通念を認め合うことも、多様性の尊重と言えよう。
そもそも、今回の法整備の進め方には問題が多い。
岸田首相は2月、LGBTを差別する発言をした首相秘書官を更迭するとともに、自民党に法案の提出に向けた準備を指示した。
岸田政権は多様性を尊重していない、という批判を避ける狙いがあったのだろうが、法案提出の表明は拙速と言わざるを得ない。
米国では、LGBTを子どもたちに教えるべきかどうかを巡って、対立が深まっているという。海外のLGBT対策を参考に、日本社会にふさわしい施策について議論を深めることが大切だ。