羽田空港で1月、海上保安庁と日本航空の航空機が衝突した事故で、第3管区海上保安本部は2日、東京都内で死亡した職員5人の公葬を開いた。亡くなった職員の中に元航空自衛官も含まれている。公葬には遺族や海保職員ら約300人が列席し、故人を悼んだ。海保機は能登半島地震の被災地へ支援物資を輸送する任務の途中で事故に遭った。
公葬では、約300人の参列者が亡くなった5人に向かって黙とうをささげた。この後、第3管区海上保安部の羽山登志哉本部長が震災直後に航空機で支援物資を輸送する任務で亡くなった5人を「震災直後の厳しい状況下で救援を求める人たちに思いを寄せ、支援物資とともに応援する心を届けようとする海上保安官の姿が目に浮かぶ」としのんだ。その上で「その意志と行動は国民の人命と財産を守り抜く海上保安官の鏡であり、改めて強い使命感と責任感を持って、職務の遂行に全身全霊をささげたあなた方を誇りに思う」と追悼の辞をささげた
引き続き、斉藤鉄夫国土交通相(国交省の和田信貴事務次官が代読)、海保の石井昌平長官、羽田航空基地の林博之基地長がそれぞれ弔辞を述べた。公葬終了後には海保機が事故に遭った午後5時45分に合わせて、遺族約50人が羽田空港のC滑走路で献花を行った。
5人の遺族は代理人である山口修司弁護士を通じてコメントを発表。遺族からは「二度とこのような事故が起きないようにしていただきたい。彼らは使命感が強いので同じ気持ちでいると思います」との言葉が寄せられた。
被災者のために支援物資輸送中に亡くなった海上保安官
羽田事故で海保機に搭乗したい6人のうち機長(39)を除く5人が亡くなった。この5人は1月1日付けで2階級特進となった。第3管区の澤井幸保次長が5人の人柄を語ってくれた。
▽副機長・田原信幸さん(41)=卓越した操縦技術を持っていた。情熱を持って仕事や後輩の育成に当たっていた。とても明るくムードメーカーでいつも前向きな姿勢で任務に当たっていた。
▽通信士・石田貴紀さん(27)=基地の中では若手でいつも元気で目先が利いていた。英語の勉強にも一生懸命取り組んでおり、昨年開催された「世界海上保安長官級会合」では、米国の沿岸警備隊のリエゾン(連絡員)を務めた。
▽探索レーダー士・帶刀航さん(39)=航空通信の指導的立場で、丁寧で穏やか。上司や同僚。後輩から熱い信頼を寄せられていた。飛行機で大空へ飛び立てば行方不明者の捜索や不審船の警戒監視などで日本の海を守っていた。
▽整備士・宇野誠人さん(47)=確かな整備技術を持ち、誠実に仕事や仲間に向き合った。特にボンバルディア機の整備では、優れた技術を持っており、羽田航空基地のみならず、全国の整備士からも頼りにされる存在だった。
▽整備士・加藤重亮さん(56)=航空自衛隊で30 年以上にわたり整備に携わった。卓越した技術に加え、誰からも信頼される人柄を持って海上保安庁に入庁。大ベテランでありながら、謙虚に若い職員から教えを受ける姿は、私たちも頭が下がる思いだった。
撮影はすべて防衛日報社