前提条件としての(新自由主義と裏表の)医療システムの在り方は脇に置くとしても。
ニューヨークの陽性率:23%説
ダイヤモンドプリンセスの陽性率: 19.2%説
もっと早い時期に検査と隔離を含め介入していれば、全く違う経過を辿ったのでは?
(上記、陽性率の“解釈”は百人百様になりそうだが)
時々刻々で、最適な解や配置、配分は常に変動してゆく、変動し続けてゆくはず。
介入できるものもあれば、介入できぬものも。
俺の立場は下記。
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A:誰も靴を履いていない
→ 靴送るな、一切送るな
B:誰も靴を履いていない
→ 靴送れ、どんどん送れ、いくらでも送れ
その後、送り込まれた3人目のC:
誰も靴を履いていません。そのため彼らの足は傷だらけです。私は靴を履けば足は守られ、足の痛みから解放されると説明しました。みんな非常に喜んでいます。(以下略)
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いわゆる操作できる人がいない論は、俺には兵站や補充をしないための言い訳にしか聞こえない。
旧軍の教訓を活かすふりをしつつその実、思いっきり操作や操縦、あるいはメンテのしづらい兵器をつくり続け、それらが当たり前だと思い続けたDNAが、そのまま21世紀の現代にまで生き続けている印象を強く持ってしまうのは、俺だけだろうか。
他の分野だったら、また違った空気があるのかもしれんけど。