艤装してます

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しばらくかかりそ。サグラダファミリアより遅くなるかも。

またぞろ、政治とカネとやらで、メディアスクラムをかけているらしいので、

ことあるごとに貼り付けてる俺の以前の書き込みを。

 

と、その前に。

武漢ウイルス対応の頃から(とんでもない)悪評だらけのはずなのに。

俺は当初からファイザー枠と揶揄してんですけどね。

自見英子と加藤鮎子は、支持率を下げることはあっても上げることは無いと思う。

とりわけ(かつての)自民支持寄りの保守層からすれば。

 

smart-flash.jp

www.nikkei.com

 

 

以降、表題の関連として。

少しは考えてもいいと思うんだけどねぇ。制度の設計や導入の初期投資(?)を除き、新たな国民負担、有権者負担はおそらくは発生しないだろうし。

導入初期の諸々のコストも、既存の制度やシステムと組み合わせればかなりの程度は。

少なくとも上記のような800億円なんてことは間違ってもないと思う。よほどのピンハネ、中抜き、袖の下でもなければ。

 

tu-ray-0g-0s1.hatenablog.com

 

(デジタル通貨、デジタル円の地上波報道弾圧下で書くのも何々だが。テレ東、フジは引っかかるようになったらしい。)

 

昭和の頃の税制、税率に戻せばいいだけ(別に増税ではない)と思うんだけどねぇ。

一例として、モノ言う企業献金から、モノ言う政党交付金へ。

モノ言う同士の分立、相互抑制はあってもいいかもしれない。

中選挙区制に戻せばそれでいい、という話でもあるんだろうが。

政党名指定だけでなく、政党個人名まで指定したら、多少なりとも中選挙区制の機能を取り戻すことは、、、

(あ~、ピンハネ、中抜き、袖の下への課税は創設、もしくは大幅税率アップして欲しいもんだわな。)



下記はネット画像から。少し加工させてもらいました。

これでは、武漢ウイルス予備費12兆円の使途不明金9割も、GDP(名目553兆円)2%の防衛予算も、かわいく映りますわな。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tu_ray_0g_0s1/20211215/20211215090133.png

自民党への企業団体献金、2019年

総計、28億8,820万円 ← モノ言い過ぎて国家国民を傾け続ける献金

 

自民党への政党交付金、2019年

176億6,700万円 ← 今はモノ言わぬ交付金

上記モノ言い過ぎる献金:28億強よりも多くの声を上げ国民自らの意思を表明できるようになればかなりの程度、行き過ぎた歪み(傾国)を正し/糾し、民主主義にも資するのでは。

 

ふるさと納税、2019年

4,875億円

企業団体献金自民党向けで28億強。2019年。

政党交付金自民党向けで176億。2019年。

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以下、以前の書き込みから。

 

tu-ray-0g-0s1.hatenablog.com

tu-ray-0g-0s1.hatenablog.com

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tu_ray_0g_0s1/20211215/20211215090133.png

あえて蛇の足を付ければ、後世から怨霊扱いされて、かつ自らも怨霊(大魔縁)になろうとした(とされている)のが崇徳院。後世から怨霊扱いされているものの、自らは怨霊にはなりたくないと記録されているのが後鳥羽院。なんだそうな。

 

ネットから貼付。

われ没後かならず思うところを行うべし、しかるごときの時、人定めて崇徳院のごとき沙汰を致すか、全く願うところにあらず、止め申すべきなり

 

 このように後鳥羽院の怨霊が噂されるなかで、『後鳥羽院御霊託記』が編まれたように、鎌倉時代にはしばしば後鳥羽院の霊託事件が起きている。

『菓黄記』宝治二年(一二四八)七月三日条によれば、検非違使の中原章澄の妻で十六歳になる女性が、病悩に陥り、物怪に憑かれて、後鳥羽院を祀る神南を高陽院に建て、院の霊を鎮座するようにとの後鳥羽院の霊託を口走った。章澄の妹が大官院(後嵯峨天皇中宮)に仕えていた関係から、この霊託は大官院を経て後嵯峨院に伝えられ、議定があった。

 

 これに続いて、翌建長元年(一二四九)三月、亀菊隠岐配流に同行した(注:後鳥羽院の)愛妾、承久の乱の遠因とも)に後鳥羽院の霊が憑き、院の託宣があった。

『岡屋関白記』建長三年三月二十七日粂によれば、後鳥羽院の霊託が院の「平生御愛の物(者)」 である伊賀局亀菊に下った。「自分は没後、思い通りに振る舞おうと決意した。ところが、人は定めて自分を崇徳院の如くに怨霊として扱おうとしている。これは自分の所願ではない、厳に申し止むべし」という霊託であった。

 

 これは、朝廷が前年の中原章澄の妻に下った霊託にもとづいて、後鳥羽院の怨霊を慰める廟所を建立しようとしているのほ(ママ)、院の本意でほ(ママ)ないとしたものである。この霊託は藤原清房から西園寺実氏に伝えられ、朝廷では廟所の建立を取り止めることにした。

少し加筆、(注:)と下線を追加。