以前から気になっていたのだが、
「男らしさ、男性らしさを大切にする側」に敬意をもてず、共存共栄もできないレズ、ゲイ、バイとその”取り巻き”、
「女らしさ、女性らしさを大切にする側」に敬意をもてず、共存共栄もできないレズ、ゲイ、バイとその”取り巻き”に対して、
「男らしさ、男性らしさを大切にする側」、「女らしさ、女性らしさを大切にする側」が、一方的に完全譲歩して無理やりな持ちあげをする必要も、無理やりな我慢を強いられる必要も、一切ないと思うけどね。
「男らしさ、男性らしさ」、「女らしさ、女性らしさ」を徹底的に足蹴にして踏みつけにしなければ(≒男性性、女性性を否定して強制的に中性化しなければ)、レズ、ゲイ、バイの人格を否定することになる旨の”押し付け”は、明らかに行き過ぎでどう考えてもおかしいと俺は思う。(逆に人格や人間性の否定だわな)
相互に(自発的な)敬意をもてなければ、双方で共存共栄などできるはずもなく、”上”からどんなに圧力をかけたところで長続きするはずもない。
残るのは(双方ともに?)感情的なもの、気持ち悪くて、気持ち悪くて仕方がない‥ただそれだけ。
それとも悪名高きバカフェミや、ガラパゴス・フェミのように、はなから共存共栄するつもりはなく、あるのはただ単にルサンチマンや利権(金儲け)のみということだろうか。
LGBTでいわれる最後のTに関しては、定義そのものも解釈も俺にはよくわからないので触れないでおくけれど。
(LGBT以外にも、在日の通名並みに多種多様な呼び名があるようで)
それにしてもどのように定義したか知らないが、LGBTなるものを大義名分として、男性性や父性性、女性性や母性性を徹底的に破壊し中性的なものにまで貶めかつ押し付けようとするって、LGBTの観点からしてももの凄く矛盾してねーか。
少なくとも俺には理解不能。
LGBTよりそっちの方がはるかに頭おかしい&社会的な悪影響は巨大だと思う。