という感じですな。
クラゲの出る時期まで雨を降らせ続けるなら、海の家も含め、
長雨、日照不足によって、巨額に達するであろう日本中の被害額の請求を
すべて平成のキンヂョー家に突きつけりゃいいのに。
検索した人の多くが行きつくらしい1993年(平成5年)は、ヲワダマサコが
キンヂョー家に潜り込んだ年ですわな。
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1993年(平成5年)は梅雨前線が長期間日本に停滞し、一旦は例年通りに梅雨明け宣言が発表されたものの、8月下旬になって気象庁は沖縄県以外の梅雨明け宣言を撤回するという事態となり、日照不足と長雨による影響で米の作柄が心配されるようになった。結果としてのこの年の日本全国の作況指数は「著しい不良」の水準となる90を大きく下回る74となった。
東北地方ではそれをさらに下回り、東北全体の作況指数は56、やませの影響が大きかった青森県は28、岩手県が30という、第二次世界大戦後飛びぬけて低い数字となり、下北半島では「収穫が皆無」を示す作況指数0の地域も続出した。
日本全体で1993年(平成5年)当時1,000万トンの需要に対して、収穫量が800万トンを下回る事態となり、食糧としての流通量が大幅に不足し、東北の米農家が飯用の米を購入するほどであった。北東北では翌年の種もみの確保が困難となる地域もあった。
高度経済成長期以降、消費者が食味・品質を追求する傾向が強まったため、生産地で冷害に弱くても質のよい米(ブランド米)志向が強くなっていたこと、農家が日本国政府(農林水産省)の減反政策に翻弄されて営農意欲を削がれ、深水管理などの基本技術を励行できなかったことも、被害を拡大させた。
(略)
米の輸入自由化
しかしこの緊急輸入と調達により、コメの国際取引市場を混乱させたとの世界的な批判を受けて、日本国政府は段階的にコメの輸入を解禁せざるをえず、当時のウルグアイ・ラウンド交渉で、最終的にミニマム・アクセスとして、各国からコメの貿易自由化要求を飲まざるを得なくなった。
ショーダミチコが潜り込みやがった1959年、昭和34年はといえば、
伊勢湾台風の項より
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